「誠一つの浮世さめ」―。10日に90歳で亡くなった琉球古典音楽の人間国宝、照喜名朝一さんが愛唱した「仲風節」の一節だ。「世の中で誠実な心こそ大切である」というこの歌は、照喜名さんの生きざまそのものだった。卓越した演奏力はもちろん、情熱的で真摯(しんし)な姿勢が周囲の人々や弟子たちを引きつけ、芸能界のリーダーとして活躍した。
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沖縄県知念村(現南城市)知名で生まれ、伝統行事「ヌーバレー」を通して三線に親しんだ。25歳の時、戦後の琉球古典音楽安冨祖流を発展させた宮里春行さんに師事。ノースウエスト航空社員として那覇飛行場(現那覇空港)で働きながら、芸能活動に励んだ。1961年、いとこの住む米ハワイを訪ねた際、歌三線を披露すると現地の県系人らが涙を流して聞き入った。後年、「その時の人々の姿が古典音楽を本気で志すきっかけになった」と語っている。
独唱や琉球舞踊、組踊の地謡で活躍。舞踊の名人たちから「無心で踊れる」と全幅の信頼を寄せられた。創作にもたけ、創作舞踊の曲やポップス調の曲も生み出した。力強く、厳かでありながら島の香りのする歌三線で聴衆を魅了した。
天才的というだけでなく努力の人だった。歌う体力を維持するため長距離のウオーキングが日課で、80歳を過ぎても若者以上の声量を誇った。
特筆すべき功績が安冨祖流を県内外、海外に普及し、沖縄文化を世界に発信したことだ。1980年、照喜名さんのハワイ公演に感銘を受けた村田グラント定彌(さだみ)さん(60)が弟子入り。照喜名さんはハワイに通い、弟子や孫弟子を熱心に指導した。照喜名さんが率いる琉球古典安冨祖流音楽研究朝一会のUSA支部は現在、約220人の門下生がいる。
2019年には米国の弟子が中心となり、「先生の夢をかなえよう」と、音楽の殿堂・カーネギーホール(米ニューヨーク市)での公演を成功させた。公演後、照喜名さんは「次は宇宙で演奏したい」と語った。
照喜名さんの訃報を受け、村田さんらは10日、ハワイで「仲風節」を演奏して師匠をしのんだ。村田さんは「先生はスーパーマンのような存在であり、親同然だった。沖縄に行くといつも『おかえり』と迎えてくれた。志を継ぎ、米国の隅々まで安冨祖流を普及させたい」と話した。
(伊佐尚記まとめ)
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