でっかい串カツにしょうが焼き 南部工業高校生のオアシス「ママイの店」「元祖ママイ」の歴史と2代目の思い<高校前メシ>


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「ママイ食堂」を始めた「ママイ」こと玉榮幸子さん(中央)と店を15年ぶりに復活させた四女の仲間末美さん(右)と孫の仁維菜さん

 「ママイ」という呼び名に懐かしさを覚えた人が東風平にいるかもしれない。そんな「ママイ」こと玉榮(たまえ)幸子さん(86)が八重瀬町の南部工業高校近くで営んでいた「ママイ食堂」。2007年頃に閉店したが、2022年に15年ぶりに復活した。引き継いだのは幸子さんの四女・仲間末美さん(59)と孫の仁維菜さん(28)。今は3世代で高校生の成長を見守っている。(デジタル編集・田吹遥子)

 

 

■移民船で出産…「ママイ」の由来

 お店の話の前に、なぜ幸子さんが「ママイ」と呼ばれているのか。その歴史からひもときたい。「ママイ」とはポルトガル語で母という意味。幸子さんは戦後、夫の故・幸喜さんと共にブラジルに移民した経験がある。

 ブラジルに渡ったのは1955年のこと。19歳で妊娠9カ月だった幸子さんは、移民船の中で長女を出産した。乗っていた船「チサダネ号」が由来で、智佐子と名付けたという。

 開拓から始まったブラジルでの移民生活。幸子さんは「大変だったですよ」と振り返った。「なんでも自分で作らないと生活できない」。洋服をほどいてパンツを作ったり、自給自足をしたりして生活を営んだ。7人きょうだいの6番目である末美さんが生まれるまで、ブラジルで暮らした玉榮一家。いつしか幸子さんは、子どもや地域の人たちから「ママイ」と呼ばれるようになっていた。

ブラジル移民、店の創業…これまでを振り返る玉榮幸子さん(右)と話を聞く娘の仲間末美さん(左)と孫の仁維菜さん

  そして一家は沖縄へ。幸子さんは帰郷後も、基地内の仕事や洋裁、食堂の手伝いなどの仕事をして家計を支えた。

 「ママイ食堂」がオープンしたのは南部工業高校が開校して3〜4年した頃。さまざまな仕事をしてきた幸子さんだが、雇われるのではなく「自分で稼ぎたい」と考えていたこともあり、畑として所有していた土地に建てた建物で食堂を始めた。店名に「ママイ」を入れたのは移民船の中で生まれた長女・智佐子さんからのアドバイスだったという。

 

 

■サトウキビ畑の中にぽつり

店を始めた頃のママイ食堂と玉榮さん(玉榮さん提供)

 今でこそ住宅が増えてきたエリアだが、当時は住宅が一軒もなく、見渡す限りサトウキビ畑。その中で高校の周辺に「ママイ食堂」を含めて3軒の食堂があるだけだった。

 そういった環境もあって、食堂の客はほとんどが高校生だった。少し離れた地域から通う高校生は相乗りでタクシーを利用していたため、タクシー運転手もよく店を訪れた。高校生を待ちながら食堂でご飯を食べるのが、当時の当たり前の光景だったという。

 当時の人気メニューはごはんにフライドチキンとポーク、野菜炒めが入った「ママイ定食」。ほかにもラーメン、そば、揚げパン…。時々店を手伝うことがあったという末美さんは「ほぼママイが1人でやっていましたね」と振り返る。

ママイ食堂時代の店舗(玉榮さん提供)

 忙しい日々の中、幸子さんが何より楽しみにしていたのは、高校生と話すことだった。「ママイは(高校生と)同級生みたいな感じでしたよ。おしゃべりしたり、トランプしたり。彼女ができたと連れてくる高校生もいました」と末美さん。幸子さんは「(高校生が)なんでも『ママイ、ママイ』と呼んでくれるのがうれしかった」と当時を思い出してにっこり笑った。今でも卒業生が訪れて「変わってないねー」と言われているという。

 

 

■「物置」状態からの復活

 大好きなお店で高校生と過ごすかけがえのない時間。だが、幸子さんは加齢と共に体調を崩すようになった。入退院を繰り返し、店を継続することが難しくなっていた2007年頃、泣く泣く店を閉じた。

 自宅兼店舗という形で営業していた「ママイ食堂」は、閉店してからの15年間、すっかり自宅の「物置」になっていた。そんな時、復活に向けた思いを募らせていたのが末美さんだった。「いつかはまたここでお店やりたいなって。ここで働いたらママイのこともいつでもみれる、とも思ったんです」。末美さんの思いに幸子さんは「儲けなくてもいいから、お店をやることはいいことだと思うよ」と前向きだったという。

 一方、「うまくいくのか」「無理しないで」と心配する家族も。それでも説得を続け、2022年6月「ママイの店」としてオープンした。末美さんの娘、仁維菜さん(28)が手伝うことになり、幸子さんもデイサービスに通っていない毎週火曜と木曜は店を見守る。「ママイ食堂」は3世代による「ママイの店」として復活したのだ。

今年「ママイの店」として復活したかつての「ママイ食堂」。看板は孫の仁維菜さんの手作り=11月、八重瀬町富盛

 

 

■「くつろぎの場所」を目指した理由

 記者が話を聞いているとお昼前になった。お店の電話が鳴り、仁維菜さんが取る。「分かった、しょうが焼き弁当、野菜抜きね」「お店で食べる?持ち帰り?」。「ママイの店」は注文を受けてから作るシステム。そのため、10時オープンと弁当屋にしては遅めのスタートだが、昼前は電話注文が増えて忙しくなる。

 ふとキッチンに目をやると、車いすに座った幸子さんが作業に奔走する2人をじっと見つめていた。思い出話をしたときとは打って変わって真剣な表情だ。「ここはママイの特等席だよね」と末美さんがほほえむ。

お昼時、キッチンの特等席で真剣な表情で仁維菜さんの手際を見つめる玉榮幸子さん

 現在の「ママイの店」ではしょうが焼き、チキン南蛮など肉中心のメニューが高校生に人気だ。ほかにもメニューにはちゃんぽん、トンカツとがっつり系が並ぶ。片手でさっと食べられる「ワンハンド」のメニューも充実している。手のひらほどもある串カツがなんと100円。これは1本で十分に小腹が満たされる。

チキン南蛮弁当。さっぱりしたタルタルソースが美味しい。ニンジンしりしりなどの副菜もうれしい
大きな串カツ。これがなんと100円

 メニューを考案する末美さんのこだわりは「ご飯が進むおかず」。そして味付けは「自分が好きな味にしていますね」と笑った。

記者が頼んだチキン南蛮と串カツを渡す末美さん。注文を受けて作るのでいつも出来たてだ。かわいいポップは仁維菜さんの手作り

 正午、学校のチャイムが店内まで響くと、その数分後には生徒たちが店内にどっと入ってきた。靴を脱いでくつろげる畳間は常連の生徒ですぐに埋まった。そこでしょうが焼き弁当にがっついた高校2年の生徒は食べ終えると一眠り。片や店先には鞄だけ置いて「とりあえずコンビニ行って来る」と友達に言って駆け出す生徒…。この空間、まるで家みたいだ。

仁維菜さんが手渡す弁当をカウンターから受け取る高校生

 「こんなに早く理想の形になると思っていなかったんです」。そう話す末美さんの理想とは「アットホームな感じ」。この店に15年のブランクがあったとは思えないほど「高校生のくつろぎの場所」に戻っていた。

 それを理想と考えたのは、幸子さんが営んだかつての「ママイ食堂」が高校生のくつろげる場所だったからだ。「ママイが喜んでくれればいいなって。人と交流することは刺激にもなりますしね」。聞いていた幸子さんが「これが成功だね」とほほえむと、末美さんと仁維菜さんは「最高」と笑い、弾けるような笑顔を見せた。

ママイこと玉榮幸子さん(右)の話に笑い合う(左から)仲間末美さん、仁維菜さん

高校前メシ

あなたが高校時代、お昼休みや放課後に通っていたお店はどこですか?思い出の「高校前メシ」を記者が訪ねました。WEB限定の連載です。

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