沖縄戦体験の語り部、中山きくさん死去 94歳、元白梅学徒 平和の尊さ訴え続け


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沖縄戦から75年の慰霊の日を前に、沖縄戦継承の在り方などを考える座談会で思いを語る中山きくさん=2020年6月16日、那覇市の琉球新報社

 沖縄戦で看護要員として動員され、戦後は戦争体験を語り継いできた元白梅学徒の中山きく(なかやま・きく)さん=白梅同窓会長=が12日午後10時21分、がんのため、那覇市内の病院で死去した。94歳。南城市佐敷出身。自宅は那覇市安里。葬儀・告別式は17日午後2時から2時45分、那覇市銘苅3の22、サンレー那覇北紫雲閣で。喪主は長男の章(あきら)さん。戦争の悲惨さを伝え、新たな基地建設に反対するなど平和や命の尊さを訴え続けた。

▼「基地は戦争につながる」中山きくさんが語った思い

13日に仮通夜が行われた。本通夜は16日午後4時から8時、浦添市前田2の15の1、サンレー中央紫雲閣で執り行う。

 中山さんは、沖縄戦で県立第二高等女学校の女子生徒で組織する学徒隊(白梅学徒隊)として野戦病院で負傷兵を看護し、本島南部で悲惨な戦場を目の当たりにした。

 1995年、沖縄戦から50年の節目に元白梅学徒隊の戦争体験をまとめた「平和への道しるべ」を白梅同窓会として刊行した。それ以降、「平和の語り部」として次の世代に戦争体験を語り継いできた。99年には、9校の元女子学徒隊で結成された、戦争体験を語り継ぐ「青春を語る会」の代表としても活動を開始した。

 2007年には歴史教科書での「集団自決」(強制集団死)の日本軍による強制の記述を削除した教科書検定意見の撤回と、記述の回復を求めた県民大会の共同代表として活動した。名護市辺野古の新基地建設やオスプレイ配備に反対するなど、戦後も過重な基地負担が集中する沖縄の現状を危惧し、平和の大切さを伝える活動に尽力した。

(中村万里子)

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本通夜の会場が14日の時点では「那覇北紫雲閣」となっていましたが、正しくは浦添市前田の「中央紫雲閣」です。修正しました。(15日午後4時すぎ更新)
 

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