喜友名諒も満島ひかりも通った?行列ができる美里工業裏の「パーラーどんちゃん」と楽しい”おばちゃんたち”<高校前メシ>


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パーラーどんちゃん

 お昼前、美里工業高校裏の「パーラーどんちゃん」には弁当を買い求めに列ができる。キッチンからは女性たちの朗らかな笑い声。貼り出されたメニューにはカレー、シチュー、マーボー、オムライスにポークたまご、人気のタコライス大中小…。「パーラーどんちゃん」は客も従業員もメニューまでとにかくにぎやか、とにかく楽しい。なぜこんなに明るい弁当屋なのか。(デジタル編集・田吹遥子)

 

■始まりは「黄色いパーラー」

 「どんちゃん」の歴史は古い。1988年、先代の内間茂子さんが始めた。元々バスガイドをしていた茂子さんだが、食堂を開くことを長年夢見ていたと言う。自宅の敷地が美里工業の近くだったこともあり、学生向けのパーラーとしてオープン。最初は黄色の建物が目印の小さなお店だった。

 創業当時から働いているのは、普久原枝美子さん。まわりから「フクちゃん」と呼ばれて親しまれる、大ベテランだ。近所に住んでいた普久原さんを、茂子さんが「ヘッドハンティング」した。普久原さんは「黄色いパーラーのときは(台所は)2畳くらいで狭くて、2人しか入れなかったはず」と、当時を振り返る。

創業当時のパーラーどんちゃん。黄色の建物が目印だ。店の中にいるのが茂子さん(右側)(内間みどりさん提供)

 当時のメニューはハンバーガーや沖縄そばなど。ハムとチーズのサンドイッチを揚げた「あげサン」は現在も店に並ぶ。人気のチキンは当時ドラムで販売していたが、うまみたっぷりの味付けはずっと変わらない。普久原さんは「ブラジルにいた(茂子さんの)親戚から伝わった味と聞いている」と話した。

創業当時からあるというあげサン(手前右)
人気のチキンはこの大きさでちょい小さめ(左)。常連からは「コーン丼」とも言われるシチューは丼になみなみとつがれている

 

■「店を閉める選択肢はなかった」

 11年前に茂子さんが亡くなってから、後を継いだのは長男嫁のみどりさん(49)だ。夫と付き合っていた専門学生の頃からお店に通っていた。

 結婚後は長年事務の仕事をしており、飲食業とは無縁だった。その上、料理は「どちらかというと苦手」(みどりさん)。しかし、後継を託されたとき「(断って)店を閉めるという選択肢はなかった」と言う。

「ずっと『次はあんただよ』と(茂子さんから)言われてきたからね。働いているおばちゃんたちもみんな知ってたので」。

2代目のオーナー内間みどりさん

「どんちゃん」の仕事は一日中フル回転だ。午前6時から仕込みが始まり、午前8時にオープン。朝はおにぎりやカレーなどを出し、午前9時からはお弁当が並び始める。お昼は近くの会社員や現場で働く建設関係者、近所の人たちで店の外まで行列ができる。お昼後も、夕ご飯のおかずを買いに来る近所の人たちや、放課後にお腹を空かせた高校生たちの小腹を満たし続け、午後7時半に閉店する。

 材料の調達、仕込み、提供の手順…。店を継いだみどりさんは、分からないことは一緒に働くおばちゃんたちを頼りながら、業務を学んできたという。

「みーどーは本当によくやってるよ」「みーどーは偉い」おばちゃんたちは口を開くたびにそう語る。そこからは厚い信頼を感じる。

手際よくおにぎりを詰めていく。

 最近では「10年経ったからそろそろ食べたいのを出していいかな」と思い、新メニューの開発も始めた。カレーうどんやトルティーヤはみどりさんの発案だ。

 冬は肉じゃが、夏はタッカルビ丼と季節限定メニューもある。限定メニューが店に並ぶタイミングには「フクちゃんが長袖を着たら冬」という判断基準があるとかないとか。

提供口にはメニュー表やホットスナックが並ぶ

 

■「ここがあるから生きていける」個性的なおばちゃんたち

 「どんちゃん」の厨房をのぞくと、11人の「おばちゃんたち」が忙しそうに動き回っている。注文すると威勢のいい声が返ってきて、会話をするだけで元気が出る。

忙しく働く厨房内

 「私はここがあるから生きていけるよ」とみどりさんの横で話すのは、村吉由紀さん(56)。茂子さんのめいにあたる村吉さんは「どんちゃん」で働いて19年になる。持ち前の明るい性格で、みどりさん曰く「どんちゃんの広報役」だ。

 村吉さんにとって一緒に働く仲間たちは「家族みたいなもの」だと言う。「というか、家族よりも長い時間を過ごしているんじゃないかな」。ケンカをすることもあるが「本気で思っていることが言える仲。家で嫌なことがあっても、明日どんちゃんだと思うと明るい気持ちになるわけ」と笑顔を見せる。

笑顔で働く村吉由紀さん

 その話を聞いていたみどりさんも「個性的すぎるおばちゃんたちにイライラすることもあるけど、楽しいよね」と笑った。

 

■五輪金メダリストも常連

 人気店である「どんちゃん」には有名人も来店する。2021年の東京五輪、空手個人形で金メダルを獲得した喜友名諒さんも中学時代からたびたび通っていた。空手で世界的に活躍するようになってからも店に顔を出し、店にサインをプレゼントしたことがある。「うちのおばちゃんたちが諒に『(サインのお返しに)何がほしい?』と聞いたら『どんちゃんの年間パスポートがほしい』と言ったって」とみどりさん。レジの近くにはその時のサインが飾られていた。

 ほかにも俳優の満島ひかりさんや満島真之介さんきょうだいら「満島一家」が来たこともあった。最近ではYouTuber「ハイサイ探偵団」や危険地帯ジャーナリストの丸山ゴンザレスさんも訪れ、SNSなどで紹介することも。ネットで取り上げられた店の評判を見ているのか、最近では観光客が来ることも増えているという。

喜友名諒、ありんくりん…壁には著名人からのサインが

 美里工業高の生徒たちは、卒業後もたびたび訪れることが多いという。以前は、美里工業のバレー部OBと「どんちゃん」の従業員でバレーチームを結成したこともあるほど。みどりさんは「県外に行った卒業生で夏休みに帰ったらまず『どんちゃん』に来る、という子もいた」と振り返り「帰省中の短い間に来てくれることがなによりうれしい」と語った。

 

■「どんちゃん=丼」ではなかった

丼スタイルのお弁当

 店名の「どんちゃん」。その響き、そして丼に入った弁当や料理が多いことから、勝手にどんぶりの「丼」の「どんちゃん」だと思って疑わず、由来を聞くことすら忘れかけていた。聞いて良かった。「丼」が由来ではなかった。

 その由来について「表と裏の両方ある」と言う。みどりさんによると、
 表向きの意味は「どんどんお客さんがきますように」の「どんどん」だという。

店名の由来の通りどんどんお客が来る「どんちゃん」。お昼前には列ができる=2月

 そしてもう一つの意味はは、茂子さんのあだ名「しげドン」の「ドン」だ。「ボス」を意味する「ドン」のニュアンスも込められてるらしい。
 明るく活発でたくましい茂子さんを、家族は「しげドン」と呼んでいた。みどりさんは「しげちゃん」と呼んでいたという。「明るくて大好きでした」とほほえんだ。

 茂子さんから引き継いで今年で12年目になる。「これからもみんなが楽しく働ける環境づくりを頑張りたいですね」。みどりさんの表情に、一緒に働く「おばちゃんたち」を束ねる2代目のたくましさが垣間見えた。

高校前メシ

あなたが高校時代、お昼休みや放課後に通っていたお店はどこですか?思い出の「高校前メシ」を記者が訪ねました。WEB限定の連載です。

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