「集団自決」忘れない 沖縄・座間味 遺族、平和之塔で追悼


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恒久平和を願い、平和之塔の前で追悼する家族=26日午前、座間味村座間味

 【座間味】1945年3月26日、米軍が沖縄県座間味村に上陸し、村内で起こった「集団自決」(強制集団死)から78年となる26日、同村座間味にある平和之塔に村民や遺族、観光客らが訪れた。雨が降りしきる中、悲惨な戦争を二度と繰り返してはならないと、非戦を誓い手を合わせた。村では5年ごとに村主催の慰霊祭を開催しているが、今年は自由追悼だった。  

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 78年前のこの日、村では米軍の激しい砲撃と日本軍の強制や誘導によって、住民らが「集団自決」に追い込まれた。平和之塔は「集団自決」の犠牲者を含む村民647人と、日本軍人376人、朝鮮人軍夫や教員ら177人の霊を慰めるため建立された。  

 「この名前はひいおばあちゃんの弟だよ」。座間味中教諭の宮里征吾さん(38)は妻・美乃里さん(38)と息子の奏多ちゃん(5)、悠叶ちゃん(4)、洸多ちゃん(3)と一緒に訪れ、刻銘碑に刻まれた犠牲者の名前を子どもたちと一緒に指でなぞった。征吾さんの祖母・育江さんは同村出身。沖縄戦当時、軍属だった育江さんは、手りゅう弾を手に取り信管を抜いたが、爆発せずに生き延びた。  

 一方、別行動していた育江さんの家族は「集団自決」によって村民67人が犠牲となった産業組合壕で亡くなり、育江さん一人だけが生き残った。征吾さんは「祖母の戦争体験は道徳の授業などでも活用している。これからも教師として、親として、子どもたちに島で起こった戦争を伝えたい」と語った。 

(金城実倫)


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