【動画】「戦争は絶対にやってはいけない」 沖縄戦「集団自決」から78年 渡嘉敷で4年ぶり慰霊祭


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白玉之塔に刻まれた犠牲者の名前を見て涙ぐむ遺族=28日午後、渡嘉敷村渡嘉敷

【渡嘉敷】沖縄戦当時、渡嘉敷村で「集団自決」(強制集団死)が起きてから78年を迎えた28日、村渡嘉敷の白玉之塔で村主催の慰霊祭が催された。コロナ禍の影響で4年ぶりの開催。遺族や村民ら約100人が参列した。遺族らは、白玉之塔に刻まれた名前を指でなぞり「今年も来たよ」と涙を浮かべながら声をかけ、花を手向けた。

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小嶺一(はじめ)さん(68)=嘉手納町=は父方の祖父母や親族の名が刻まれた場所に花を供えた。「祖父が鈍器で祖母や父のきょうだいを次々と殺し、祖父も自殺した。末っ子の叔父は助かったが、頭には鈍器でたたき付けられた跡が今も残っている」と語った。

新垣キヨさん(94)=村渡嘉敷=は、沖縄戦当時17歳。両親と姉の4人で「集団自決」に遭遇した。新垣さん家族は全員助かるが、親戚の4家族14人が犠牲となった。一家全滅だった。「はっきりと覚えている。あの日のことを思い出すととても怖いさ」。沖縄戦体験者が少なくなる中、新垣さんは「生きている限り戦争は絶対にやってはいけないと伝えたい」と強調した。

渡嘉敷中2年の崎濱璃子さん(14)は「悲惨な戦争を二度と繰り返さないために、世界平和に向けて自分たちができることをしたい」と前を見詰めた。

(金城実倫)
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