ひめゆり同窓生 90代7人の訴え 「戦争だけは絶対にやってはいけない」 学友亡くした体験、生きづらさ抱え


この記事を書いた人 琉球新報社
前列左から、戦争に反対する思いを語ったひめゆり同窓会の玉城なぎ子さん、島袋俊子さん、喜屋武延子さん、知念淑子さん、翁長安子さん、仲吉節子さん、金城美恵さん=21日、那覇市の養秀同窓会館

 絶対に、戦争だけはやってはいけない―。戦前の県立第一高女と師範学校女子部の同窓生らで組織する「ひめゆり同窓会」の90代を超える7人の同窓生らが21日、那覇市首里金城町の養秀同窓会館に集った。同窓生らは、沖縄戦に動員され、亡くなった学友の死に負い目を感じ、生きづらさを抱えてきたことや、戦争に強く反対する思いを語った。

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 21日は、県平和祈念資料館友の会主催の平和学習フィールドワークがあり、その一環で約100人が参加した。4月に97歳で亡くなったひめゆり平和祈念資料館の元館長の本村ツルさんをしのび、34年ぶりに行われた卒業式を追ったNHKドキュメンタリー(1979年放送)を鑑賞し、集まった同窓生7人がそれぞれ戦争体験を語った。

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 卒業式に出席し卒業証書をもらった知念淑子さん(94)は「名簿作りに奔走した」と当時を振り返った。式の後、来られなかった遺族を恐る恐る訪ね、卒業証書を届けて線香を上げたという。

1979年に34年ぶりの卒業式でもらった卒業証書を見せながら、当時を振り返る知念淑子さん=21日、那覇市の養秀同窓会館

 知念さんは、1944年の夏休みに石垣島に帰郷し、戦争が激しくなって一高女に戻れず、同級生は沖縄戦に動員され、大勢が犠牲になった。「あの頃は生きづらくてね」。戦後すぐは遺族を道で見つけると、隠れるようにして歩いた。「学校に戻らなかったから、『ひきょう者』と思われていたと思う。とてもつらかった」と、静かな口調で思い出していた。

 島袋俊子さん(94)は10・10空襲で家を焼かれ、家族と着の身着のままで具志川まで歩き、さらに国頭へ避難した。父親に「学問は二番、命どぅ宝だ」と諭され、そのまま終戦を迎えた。「父親の言葉一つで命をもらったと今でも思っている」。親戚の同年代の子は男子学徒として動員され、遺書を書いて戦死したといい、「国のために命をないがしろにするなんて、今考えれば悔やみますよ」と親の心情をおもんぱかった。

 喜屋武延子さん(94)は島根県に疎開し、広島県の呉の軍需工場に動員されている時に原爆落下を知った。焼け出された大勢の人を見て「戦争だけは絶対にやってはいけない」という思いを貫いてきたと語った。

 玉城なぎ子さん(93)は静岡県に疎開し、弁当箱におつゆの身をすくって入れるほど食べ物がなかった体験を語った。今、沖縄への攻撃を想定した県外疎開の計画に触れ、「県民を疎開させれば良い、ということではない。子どもに絶対こういう体験をさせたくない。戦争は絶対反対。基地を造らせないことです」と力を込めた。

 翁長安子さん(93)も「有事」が取り沙汰されていることについて、「沖縄がまた犠牲にされたらたまらない。全国の人に私たちの声を聞いてほしい。たくさんの無残な死体を見た。もうお骨拾いはしたくない。子や孫に惨めな思いをさせるものか」と訴えた。仲吉節子さん(92)と金城美恵さん(92)も参加し、それぞれ戦争体験を語った。
 (中村万里子)

 

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