普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設を巡る代執行訴訟で20日、福岡高裁那覇支部が玉城デニー知事に対し25日までに沖縄防衛局の設計変更申請を承認するよう命じた。1998年から2006年まで知事を2期8年務め、普天間返還について国との折衝を担った稲嶺恵一元知事が21日、琉球新報の取材に応じ「解決に向けて、国民のコンセンサスを得ることが重要だ」と話し、沖縄だけでなく全国で問題意識を共有する必要性を強調した。
(聞き手 沖田有吾)
―代執行訴訟で沖縄県が敗訴した。
「こうなると思っていたので驚きはない。ただこの問題のスタートは1995年で、30年近くたつ。判決という『点』だけでなく、私は『線』や『面』に随分関わりを持ってきたから、いろいろな意味で感慨はある」
―今後、県はどうすれば良いと考えるか。
「沖縄懇話会の代表幹事を務めた諸井虔さん(※)は私に何回も『稲嶺さん、沖縄がどれだけ強く言っても国民のコンセンサスを得られないものは進まないよ』と言っていた。国のではなく、国民のコンセンサスを得られないと物事は進まないということを、沖縄も十分認識しなくてはいけない」
「知事の時、知事会で他の知事から『沖縄は大変だね』『よろしく頼むよ』などと声を掛けられた。つまり、防衛の問題は他人ごとだった。沖縄も尖閣付近に中国が入ってくることを問題と思っていない人もいる。沖縄を含め、日本中が防衛や外交という難しい問題を全てアンタッチャブルでごまかしてきた。その一環として今回の点(判決)がある。つながる線や面はいくらでもあるし、元をたどればサンフランシスコ講和条約に行き着く」
―発信が弱いということか。
「発信ではなく、積み重ねが弱い。国民のコンセンサスを得るような仕組みを作らない限り、沖縄問題はずっとこれからも難しい局面が続いてしまう。昔は沖縄の立場を情で分かってもらえる政治家が多かったが、時代の流れとともに亡くなった。情で沖縄のために動いてもらうのはもう無理。次は理論的に相手を説得できるように体制を整える。それを365日継続しないといけない」
「聞く耳を持ってもらうには、沖縄全体が一緒にならないといけない。1995年や金武町の実弾訓練射撃への抗議、教科書問題などで、本当の意味でオール沖縄が実現した時には大きな力になった」
「オール・オア・ナッシングではなく、お互いのベターを探る。これはものすごく難しい。ぎりぎりの線をどう探るか。妥協はだらしないと思うかもしれないが、それをしなければ何も解決しない。解決の道筋は、ここまで県と国が離れてしまうと難しい。でも、少なくともその方向に向かって進まないと、今のままだとずっと同じことを繰り返すだけだ」
※①諸井虔(もろい・けん) 1928~2006。元太平洋セメント会長。財界でも経済同友会副代表幹事や日経連(現日本経団連)副会長などを歴任。本土と沖縄の経済人でつくる「沖縄懇話会」のメンバーだった。
いなみね・けいいち 1933年、旧満州大連市生まれ。慶大卒。いすゞ自動車を経て琉球石油(現・りゅうせき)入社。りゅうせき社長、沖縄県経営者協会長を歴任。米軍普天間飛行場の沖縄県内への移設を条件付きで容認する立場で、1998年の知事選で初当選し2期務めた。