「沖縄で起きたら…県外からの応援、すぐには来れない」 元消防官の兄弟2人が防災コンサル起業 太陽光倉庫を普及へ <東日本大震災13年>


「沖縄で起きたら…県外からの応援、すぐには来れない」 元消防官の兄弟2人が防災コンサル起業 太陽光倉庫を普及へ <東日本大震災13年> 消防官から転身し、防災コンサルティング会社を起業した宮平辰義さん(左)、辰史さん兄弟と実証実験が始まった流通在庫備蓄倉庫=9日、那覇市おもろまちの新都心公園
この記事を書いた人 Avatar photo 謝花 史哲

 東日本大震災から11日で13年。消防官として東北などの被災地に派遣された経験のある兄弟が、防災のコンサルティング会社を設立した。自治体などへのアドバイス業務のほか、災害時に飲料などを供給する備蓄倉庫の普及を目指し、実証実験も始める。倉庫に自販機を組み込むことで、備蓄分を常に更新。太陽光を動力源とし、ライフラインが絶たれても稼働する国内初の独立型災害用倉庫のシステムだ。2人は「沖縄から新たな防災の仕組みを広げていきたい」と意気込む。

 豊見城市出身で兄の宮平辰史(たつふみ)さん(41)は2002年、弟の辰義(たつよし)さん(39)は04年に那覇市消防本部(当時)に入庁した。火災や救急など現場で経験を積み、辰史さんは東日本大震災、辰義さんは熊本地震発生の際、緊急消防援助隊として派遣され、被災地で救助活動に加わった。

 目の当たりにした惨状に沖縄を重ねた。「同じ災害が起きたらどうなるのか」。島しょ県で発生した場合「県外からすぐに応援は来られない。発生初期は県民の力で乗り越えなければならない」との思いを強くした。

 消防官として防災の業務に携わる中で、いつ発生するか分からない災害に備えて自治体が継続して体制を構築することの難しさを感じていた。

 「培った知識や技術を還元できるかもしれない」。「経験を地域課題の解決に生かしたい」。約20年間勤めた消防を離れる決意を固め、昨年3月に退職し、起業した。

 コンサル業務では、自治体や企業を相手に非常時の体制づくり、研修、訓練の運営など、防災に関する総合的な支援を手掛ける。独自システムの備蓄倉庫の販売・設置も事業の柱の一つだ。

 辰義さんは「市町村や企業に防災に関する共通認識ができれば、団体をまたいでの連携もしやすくなると思っている」と語る。災害に強い地域づくりへ。2人の挑戦が始まる。

 (謝花史哲)