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TBS番組で物議の「方言札」 沖縄出身の俳優に「方言禁止記者会見」…批判の背景にある歴史とは?


TBS番組で物議の「方言札」 沖縄出身の俳優に「方言禁止記者会見」…批判の背景にある歴史とは?
この記事を書いた人 アバター画像 熊谷 樹

1月18日放送のTBSバラエティー番組「櫻井・有吉THE夜会」の企画「方言禁止記者会見」がSNSで物議をかもしている。

沖縄県出身の俳優・二階堂ふみさんが、「沖縄方言」を使う記者からの質問に対し、つられることなく「標準語」で答えられるかを挑戦するという内容だ。

方言3回でアウト、ゴーヤーチャンプルーなどの料理名もアウト、イントネーションはセーフなどのルールを設け、30分間「沖縄弁を我慢して」記者会見に臨んだ。

17日にX(旧ツイッター)の公式アカウントで短い動画とともに番宣が投稿されると、批判の声が相次いで上がり一気に注目が高まった。

「沖縄県出身者に方言禁止記者会見をやらせるとは、デリカシーがないですね」「方言札の再来じゃん。TBSがこんな露骨な方言差別をやったら絶対にダメだろう」「方言札でググれば、これが大問題なのは誰でも分かる話」

一方で「方言札について知っているけど過剰すぎる」「飾らない素顔の方言が出ちゃったって感じだった」などと擁護する声もあった。

うちなーぐち講師の思い、TBSの見解は?

番組の演出の問題点はどこにあるのか。批判の主な背景には、明治から昭和にかけて沖縄の学校現場で取り入れられた「方言札」を連想した人が多い。

方言札とは、沖縄県で推進されたうちなーぐちを禁止し標準語の使用を奨励する「標準語励行運動」の一環で使われた木札で、1900年代から1960年代まで使われたとされている。

 番組での「方言禁止記者会見」の企画について、うちなーぐち講師の比嘉光龍 (ふぃじゃ ばいろん)さんはX(旧ツイッター)で「うちなーぐち(おきなわ語)は方言ではない。その視点で考えた時にこういう番組をどう捉えるか。怒りを通り越して、ただただ悲しい。我々琉球人はこれに反応するべきだ」と投稿した。

 投稿に込めた思いについて、比嘉さんは、言葉の独自性を踏まえて「うちなーぐち」は「方言」ではないと指摘する。「方言札」も使ってうちなーぐちの撲滅運動が行われてきた歴史も踏まえ「うちなーぐちが方言と言われ、さげすまれてきたことに対して、社会に注意を促したい」と強調した。

番組公式アカウントによる番宣投稿

TBSテレビ社長室広報・IR部は、取材に対し「『どんな役も見事に演じきる俳優さんでも、自身の出身地の方言にはつられてしまうのではないか?』を検証するもので、過去に別の俳優さんで同様の企画を放送した際は好評だったこともあり、沖縄の歴史的背景についての十分な検討ができておりませんでした」とコメントした。

 「方言札」などで、沖縄の言葉を話すことを禁じられた歴史を踏まえた批判について同社は「今回の企画が差別的であるとのご指摘は、私どもとして真摯に受け止めており、今回の反省を今後の番組制作に生かして参ります」と説明した。

方言札で標準語強制、重い罰も

バラエティー番組の演出をきっかけに注目された「方言札」とは、明治時代以降の主に小学校で使われた木札だ。

1879年、琉球処分により日本に編入させられた沖縄では、同化政策が進められた。日本本土から派遣された県の指導者らは県民に沖縄独自の言葉や風習を改めるよう迫り、沖縄女性の伝統的な入れ墨「ハジチ」が禁止されたり、沖縄独自の姓名を日本風に変える改姓改名運動が進められるなど沖縄人の「日本人」化が推し進められた。

1937年に日中戦争が始まり、国民精神総動員運動が展開されると、県はその一環として「標準語励行運動」を実施する。明治時代末期から昭和初期にかけて本土への出稼ぎや海外移民が盛んになるにつれて浮上した、現地で県外の人たちと意思疎通しづらいなどの問題を解消するという沖縄側の需要もあり、標準語の使用を徹底して奨励したのだ。県内各地に「みんなはきはき標準語」「一家そろって標準語」というポスターが貼られた。

方言札

沖縄県内の学校でも標準語励行は徹底され、うちなーぐちを使った子どもには罰として方言札を首から提げさせた。この方言札を首から外すには、他の誰かがうちなーぐちを使っている現場を押さえて渡さなくてはならなかった。お互いに方言を使っていないか見張り合うようになり、「家庭で使っている島言葉をうっかり口にしないよう学校で無口になった」「他人の足を踏んでアガー(痛い)と言わせて方言札を渡した」などの話も残っている。

太平洋戦争末期の沖縄戦では、日本軍が住民に対して「方言で話せばスパイと見なす」と通達。実際にうちなーぐちを使ったり、標準語をうまく使えずスパイ視され虐殺された住民も数多く存在した。

戦後は、米軍支配への反発や日本復帰運動などを背景に、標準語奨励運動が盛り上がる。「ちゃんとした日本語が話せる人」「東京でも通じる人」の育成を目指し、学校現場では再び方言札も使われた。

潮目が変わったのは1970年代だ。沖縄独特の言語の価値を認め、継承しようとする世論が広がり始める。1990年代に始まった沖縄ブームが追い風となり、「沖縄らしい沖縄」やうちなーぐちは全国区となった。現在ではうちなーぐちを題材とした漫画も人気を博している。

(熊谷樹)

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