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人間の尊さ伝える教育を 当時13歳の大城さん、生き別れの弟「今もどこかで…」 40人が戦争体験に耳傾ける 沖縄・糸満


人間の尊さ伝える教育を 当時13歳の大城さん、生き別れの弟「今もどこかで…」 40人が戦争体験に耳傾ける 沖縄・糸満 大城藤六さん(左)の戦争体験に耳を傾ける参加者ら=27日、糸満市真栄平の真栄平区コミュニティセンター
この記事を書いた人 Avatar photo 玉寄 光太

 「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第4回講座のフィールドワークが27日、糸満市真栄平と米須で開かれた。約40人が参加した。真栄平コミュニティーセンターでは沖縄戦当時13歳だった大城藤六さん(93)の戦争体験に耳を傾けた。糸満市教育委員会で市史編さんに携わってきた加島由美子さんが慰霊塔やガマなどを巡りながら、沖縄戦や継承活動について説明した。米須地区の「鎮魂之塔」や「魂魄の塔」なども訪れた。

 大城さんは1945年5月末頃、避難していたアバタガマから日本兵に追い出された経験や、6月23日頃に隠れていた壕の近くで起きた日本兵による住民虐殺の様子を語った。戦争が続く世界の現状に対し、沖縄戦当時の軍国教育を踏まえ「私は子どもの頃、誰かを殺すための教育を受けてきた。人間の尊さを伝える教育こそが、戦争をしない社会をつくる」と教育の大切さを強く訴えた。

 市米須の久保田宏さん(83)は沖縄戦当時4歳。空襲警報の音や照明弾の光が壕の中に差し込んだ様子などを覚えているという。現在の米須小学校横の慰霊塔「忠霊之塔」下にあったアガリン壕に避難し、そこで母と祖母を亡くした。6月20日、防衛隊から帰ってきた父に連れられ壕を出た翌日、米軍のガソリン攻撃を受けて壕に避難していた150人以上が犠牲になった。

 逃げた先の海岸で米軍の呼び掛けがあり、けがをした祖父と2歳の弟を残して投降し米軍に保護された。それ以来、弟とは生き別れたままという。久保田さんは「今でもどこかで生きていると信じている」と話した。

 参加した沖縄国際大4年の嶋袋寿純さんは、小学生の時の平和学習をきっかけに沖縄戦について興味を持ったという。大学3年から始めた平和ガイドの経験を通し平和の伝え方を考えるようになったといい、「知らないことが数多くあると気づいた。これからも学びを続けたい」と話した。

 (玉寄光太)