沖縄戦で消失した旧県立女子工芸学校、首里高等女学校の卒業生らでつくる瑞泉同窓会は、9日までに同窓会の解散を決めた。今後は県立一中・首里高の同窓会組織の養秀同窓会が引き継ぐ。新元貞子会長(98)は「同窓生が減少し、活動を続けていくことが厳しい。慰霊祭や継承活動など、やるべきことはできたと思う」と話し、支えてくれた人たちに感謝の思いを示す。
新元さんなどによると、瑞泉同窓会は1948年に現在の那覇市首里桃原町にあった学校跡に慰霊塔「ずゐせんの塔」を建立した。首里高等女学校の61人が動員された瑞泉学徒隊は第62師団野戦病院に配属され、最前線の浦添から首里、摩文仁へと退却しながら負傷兵の看護を続けた。米須、伊原一帯で多くが命を落とし、33人が犠牲になった。72年に同窓会の関東支部が寄付を集め、首里から糸満市米須に慰霊塔を移した。
新元さんは沖縄戦を体験しておらず、瑞泉学徒隊として動員されたのは2年後輩たちだった。しかし、先生や先輩の強い勧めで89年に会長に就き、引け目を感じながら活動を続けてきたという。28人の元学徒らに呼びかけ、91年に瑞泉学徒隊の手記をまとめた「首里高女の乙女たち」(瑞泉同窓会編著)を発刊。2006年には広く呼びかけ、「ずゐせんの塔慰霊祭サポートの会」を発足させた。慰霊祭は引き続きサポートの会が実施していく予定だが、コロナ禍もあって協力者が減っており、サポートの会も厳しい状況だという。
養秀同窓会は、那覇市首里金城町の同窓会館の1階に瑞泉学徒隊に関する展示スペースを設けるという。
今後の活動や連携については6月23日の慰霊の日以降に検討することにしている。
(中村万里子)