沖振法の父、藤田元沖縄開発庁次官が死去 沖縄振興に尽力 


沖振法の父、藤田元沖縄開発庁次官が死去 沖縄振興に尽力 
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 1972年の沖縄の日本復帰前に、沖縄振興の根拠法となる「沖縄振興開発特別措置法」(沖振法)の策定に関わった元沖縄開発事務次官の藤田康夫さんが3月10日に死去していたことが関係者への取材で分かった。87歳。関係者によると葬儀は近親者のみで行ったという。

 藤田氏は、1959年旧自治省に入省。71年に旧沖縄・北方対策庁に出向し、沖振法の策定に携わった。沖縄開発庁振興局長、同総務局長を歴任、91年に沖縄開発事務次官に就任。92年度の第3次振計の策定に参画した。

 復帰50年の節目を前にした2022年2月には、琉球新報のインタビューに応じた。現行法でも適用される公共事業の効率補助について初代沖縄開発庁長官の山中貞則氏から「最高のものに」と指示を受けたと明かすなど沖振法策定時の経緯を振り返っていた。