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県系人の足跡たどる、幻のハワイ移民史発見 元邦字新聞記者が執筆 「県人のために」思い熱く<沖縄DEEP探る>(2/2ページ)


県系人の足跡たどる、幻のハワイ移民史発見 元邦字新聞記者が執筆 「県人のために」思い熱く<沖縄DEEP探る>(2/2ページ) ハワイ沖縄県人発展史を執筆した親泊義良氏(左から2人目)とその家族(和歌山市民図書館所蔵)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

ハワイ沖縄県人発展史を執筆した親泊氏は1897年、東風平村世名城で生まれた。1913年、父元徳に呼ばれてハワイに渡り、23年からカウアイ島の邦字新聞「洋園時報」の記者として働いた。37年10月に退社後、ハワイの島々を巡り、41年8月1日に同書を出版した。

親泊氏は新聞記者としての責任感を強く持っており、県人に尽くしたいという誠実で謙虚な人柄と書籍発刊への熱意、遂行力を兼ね備えていた。移民40年の歴史を記した資料が不在だったことなどから、移民1世の苦難の歴史と功績を将来に残すと同時に、2世以降の活躍への期待を込め、ハワイ移民の状況を記録したいと考えた。

経営する豚舎の前で記念撮影する長田長四郎氏とその家族。1930年代以降、養豚業で成功する県系人が増え始めていたという(和歌山市民図書館所蔵)

親泊氏の誠実な人柄は、氏が県系2世の比嘉太郎氏に充てた手紙からも読み取れる。「(県人会などの)指導者はいずれの方面から見ても犠牲ばかりで、益することはない。自己の利益のために会を運行さすことは、会を破綻に導くものだ」「私共は、長い間いじめられてきた沖縄人だ。しかしわれわれが立ち上がる時期は今、眼前に、一歩一歩近づいてきた」「われわれは、沖縄民族であることを誇りとし、そして一層の努力を発揮し、県人社会はもちろん、一般日本人社会に認めしめる様、お互い邁進(まいしん)しようではないか」

本の凡例の最後は「本書によりハワイ在住沖縄県人各位に少しなりとも利益するところあらば、筆者のよりこびこれに過ぎず」とまとめており、「県民のために」という思いがストレートに表現されている。

著書の発見を受けて、親泊氏の孫ダイアナ・オヤドマリさんは「祖父は沖縄出身者に呼びかけ、このような貴重な情報が書かれた歴史の本を出版した。遺産を残してくれた祖父に感謝している」とコメントしている。同じく孫のデイビッド・オヤドマリさんは「この資料は私たちと沖縄の先祖との絆を強めてくれる」と感慨を込めた。

(外間愛也、高橋夏帆)


戦前移民の第一級史料 宮内久光氏(琉球大学国際地域創造学部)

 ハワイの沖縄県系人と県系社会に関して、戦前期に発行された書籍は山里勇善編「布哇之沖縄県人」(1919年)が知られており、これを用いて各学問分野で移民研究が進められてきた。

 日米開戦直前の41年に本書(布哇沖縄県人発展史)が刊行されていたこと、戦災により本書が1冊しか現存されていないだろうことが、県立図書館による移民資料収集調査で初めて明らかとなり、とても驚いている。

 600ページにも及ぶ本書は、當山久三のあっせんにより沖縄県から初めてハワイに移民が到着した、1900年からの約40年間にわたる沖縄県系人と県系社会組織の活動史のほか、ハワイ全域の1世の伝記が約600人、人名録には約3500人が掲載されるなど、資料面が非常に充実していることが特徴だ。

 本書は戦前期の沖縄移民研究をする上での第一級の基本書籍となり、今後、「布哇之沖縄県人」に加え、本書の記述を読み取り、資料を分析することで、多くの研究成果が発表されることが期待できる。