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「戦争を忘れたことはない」 両親と兄弟3人…家族全員失い、遺骨代わりに「石」を墓へ 沖縄


「戦争を忘れたことはない」 両親と兄弟3人…家族全員失い、遺骨代わりに「石」を墓へ 沖縄 和魂の塔で通信隊で亡くなった兄に手を合わせる儀間秀子さん=23日、那覇市松山
この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子

 那覇市の儀間秀子さん(94)は、家族全員を沖縄戦で亡くした。両親と4人のきょうだいのうち、生き残ったのは秀子さん1人だけだ。23日、那覇市立商工学校の学徒らを悼む和魂の塔(那覇市松山)であった慰霊祭に息子の剛さん(67)と参加し、通信隊に動員され亡くなった次兄の真冨さんに手を合わせた。「なんとも言えない気持ち」と語る。

 弟は「対馬丸」に乗り、帰ってこなかった。長兄も真冨さんと同じく那覇市立商工学校の学徒だったが、どこで亡くなったかは分からない。当時15歳だった秀子さんは両親と逃げていたが、はぐれた。「南部を1人で逃げ回った」と秀子さん。泣きながら歩いている秀子さんをたまたま叔父が見つけて保護した。

 両親は糸満で亡くなったとだけ聞かされている。両親を含め家族全員の骨は見つからず、墓には石だけが入っている。

 剛さんによると、秀子さんは戦後、沖縄で初の電話交換手になり、管理職まで務めたという。剛さんは「頑張って育ててくれた。本当に大変だったはず」と話す。

 秀子さんは「戦争のことを忘れたことはない。戦争は二度とないようにしてほしい」。静かに、言葉を紡いだ。

(田吹遥子)