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ペリリュー島で父、「美山丸」沈没で姉が犠牲 戦争の記憶、孫に伝える「外交努力で平和維持を」 


ペリリュー島で父、「美山丸」沈没で姉が犠牲 戦争の記憶、孫に伝える「外交努力で平和維持を」  乗船した戦時遭難船舶「美山丸」が米軍の攻撃で撃沈され、九死に一生を得た大城英子さんと孫の董子さん(右から2人目)=23日、糸満市の平和祈念公園
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 健一

 南洋パラオのペリリュー島で父を、疎開する住民を乗せた「美山丸」の撃沈で姉を失った糸満市の大城英子さん(84)。自身も美山丸に乗船していたが、九死に一生を得た。慰霊の日の23日、子どもや孫らと5人で平和の礎を訪れ、恒久平和を願った。孫の董子(とうこ)さん(12)らとともに礎を訪れるのは初めてで、「きょうを機に沖縄戦の体験や記憶を孫に話し伝えたい」と語り、戦争の記憶を継承していく決意を示した。

 1940年、5人姉妹の三女としてペリリュー島に生まれた大城さんは、米軍上陸が迫る44年5月13日、日本軍の命令で台湾に避難するため美山丸に家族5人で乗船した。翌日、米潜水艦の魚雷により美山丸は沈没し、当時7歳だった姉の伊波千栄子さんを失った。

 英子さん家族はその後、駆け付けた「ジョクジャ丸」に救助されたが、同船も翌15日に米戦艦の攻撃を受けて沈没した。英子さんは当時の状況について「ぼうぜんとしてあまり覚えていないが、とにかく母が姉を助けるために走り回っていたのを覚えている」と語った。

 沖縄戦終結から5年後、英子さんらの元にペリリュー島に一人残った父行眞(こうしん)さんの死亡を知らせる通知が送られてきた。行眞さんは当時、軍属だったため、米軍上陸後に戦死したとみられる。ペリリュー島にいた約1万人の日本兵は米軍との戦闘でほぼ全滅した。

 平和の礎には、台湾で生まれた直後に栄養失調で亡くなった妹の末子さんの名前も刻まれている。英子さんの話を聞いた孫の董子さんは「おばあちゃんの話をきちんと聞くのは初めて。やっぱり平和が一番だと思う。戦争は起きてほしくない」と語った。

 英子さんは「数年ぶりの礎だが、来るたびにこんなにも多くの人が亡くなったのかと思う。今年が最後の礎かもしれないが、沖縄戦のことは子や孫に継承したい。戦争は絶対にやってはいけない。外国とは外交努力を通じて平和の状態を維持してほしい」と語った。(吉田健一)