自衛隊の役割は国土防衛であり、そこに国民の生命と財産を守ることも含まれているはずである。しかし沖縄戦では多くの住民が巻き添えとなって命を失い、「軍隊は住民を守らない」と批判されるに至った。自衛隊はこの歴史的事実にどう向き合い、同じ轍(てつ)を踏まないためにはどうするかが問われている。
南西諸島で自衛隊の増強が進むが、有事が発生した場合の住民避難計画は緒に就いたばかりだ。自衛隊の増派は住民理解のもと、避難計画の具体化とセットで行われるべきだ。そもそもいたずらに他国との間に軍事的緊張をあおること自体が適切とはいえない。それが沖縄戦を含む先の大戦が残した「教訓」だ。
そのような意味での自衛隊の歴史認識、歴史教育がどうなっているのか、国民からは見えづらい。一定の時間が経過した資料は公開し、国民のあらぬ疑念を招かないことが必要だ。
近年、日本軍と自衛隊の連続性が指摘されている。どの国の軍隊も戦勝の歴史に自らのアイデンティティーを求めるが、自衛隊の場合は建前としては日本軍との連続性を否定しつつも、日本軍の「勝利」や「敢闘」の面を戦史教育などで取りあげ、精神的なよりどころとしてきた。
創立70年を迎える自衛隊は自らの歴史、そして沖縄戦をはじめとする近代日本の戦争についての総括を行うべきだ。
牛島満司令官の「辞世の句」掲載について本紙アンケートでも批判する声が多い。そうした県民感情はよく理解できるが、彼のとった「軍官民共生共死」の方針、玉砕戦術は日本の指導者が、本土決戦の時間稼ぎのために立てた方針だ。牛島1人を批判するのではなく、戦争責任の全体的な構造を捉えることが重要だ。
(日本近現代軍事史)