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疎開者乗せた「対馬丸」、撃沈前は中国からの武器や兵士輸送 


疎開者乗せた「対馬丸」、撃沈前は中国からの武器や兵士輸送  対馬丸。竣工は1914年で撃沈事件時は30年が経過し老朽化していた(「あゝ学童疎開船対馬丸」より)
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 対馬丸は撃沈の前、中国の戦線から兵員や武器を沖縄に輸送するために使われていた。事件から80年、沖縄県が反対する中、新基地建設などが辺野古で強行される沖縄は再び軍事化が再び進み、中国との最前線とされ、「新たな戦前になっている」と懸念の声が上がる。

 「南京・沖縄をむすぶ会」の具志堅正己代表は「日中戦争と対馬丸はつながっていた。被害だけではなく加害の歴史を忘れないことが、戦争を防ぐことにもつながる」と強調した。

 対馬丸や戦時撃沈船舶について「県史」で執筆した吉川由紀さんによると、対馬丸は第24師団の関係者らを乗せ、44年7月17日に釜山を出航した。博多を経て8月1日、計11隻の船団で沖縄に着いた。沖縄で兵員を降ろすと、対馬丸など3隻は第62師団関係者を乗せるため上海に向かい、兵士と軍需物資を満載し再び沖縄に向かった。

 第62師団の兵士で、後に中国で住民殺害や性的暴行が日常的にあったと証言し、沖縄戦で戦闘に従事した近藤一さん(2021年に101歳で死去)もいた。翌45年、日本は満州事変に端を発する15年戦争の最終段階の沖縄戦に突き進んだ。

 (中村万里子)