「対馬丸事件」の記事一覧
4歳で対馬丸から生還 母と姉が犠牲の照屋さん講話 記念館開館20年 沖縄
太平洋戦争中に疎開する児童らを乗せて沈没した対馬丸事件を、4歳で体験した生存者の照屋恒さん(84)が22日、那覇市若狭の対馬丸記念館で、母と姉を亡くした事件の ...
対馬丸学び新聞作成 小中生、平和学習をまとめ 沖縄
対馬丸平和学習交流事業(沖縄県主催)の最終日のプログラムが8月31日、那覇市若狭の若狭公民館であった。県内の小中学生16人と保護者14人が参加し、奄美大島訪問 ...
「死の海、想像できた」対馬丸撃沈に沖縄の児童ら 漂着地・奄美での研修振り返る
太平洋戦争中に疎開する児童らを乗せて沈没した対馬丸の悲劇を学ぶ「第3回対馬丸平和継承プログラム」(対馬丸記念会主催)の事後研修が25日、那覇市若狭の対馬丸記念 ...
対馬丸生存者の孫、寿大さん「何ができるか、一心で作った」 ドキュメンタリー映画「満天の星」上映会 沖縄・那覇
太平洋戦争中の1944年に米潜水艦に撃沈され、学童ら1484人(氏名判明分)が犠牲となった対馬丸事件に関するドキュメンタリー映画「満天の星」の特別慰霊上映会が ...
「ひいおばあちゃんが生き抜いたから私がいる」 12歳の百恵さん、親子の思い<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>8
夜の船上で明かりを消すと、隣の人の顔もよく見えなかった。強い波を受け、船体は大きく揺れていた。もし海に落ちたらと考えると身がすくんだ。「すごく寒いし暗いし、怖 ...
【動画あり】対馬丸事件80年で慰霊祭 「今も海底深く眠る犠牲者」追悼し非戦の誓い 沖縄
2024/08/22
#動画ニュース
太平洋戦争中の1944年に米潜水艦に撃沈され、学童ら1484人(氏名判明分)が犠牲となった対馬丸撃沈から、22日で80年を迎えた。 那覇市若狭の慰霊塔「小桜 ...
対馬丸事件80年「口止め」情報統制、今も 日米が軍事同盟を強化、国民の知る権利を制限
沖縄海域で攻撃される危険を伏せられ、疎開させられた対馬丸の県民を含む多くの人々の命が奪われた。生存者や遺族まで口止めされる。「改正軍機保護法」などに基づく情報 ...
疎開者乗せた「対馬丸」、撃沈前は中国からの武器や兵士輸送
対馬丸は撃沈の前、中国の戦線から兵員や武器を沖縄に輸送するために使われていた。事件から80年、沖縄県が反対する中、新基地建設などが辺野古で強行される沖縄は再び ...
疎開中止の学校も 対馬丸撃沈、非公表でもうわさ聞き 直前で取りやめた保護者も
太平洋戦争中、疎開する学童や子ども連れを乗せた対馬丸が米潜水艦に撃沈され、1484人(氏名判明分)が犠牲になった事件から22日で80年。関係者が年々少なくなる ...
姉2人が乗船、命奪われ 父「後悔で胸いっぱい」 遺品のランドセル、悲劇の象徴に<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>
対馬丸記念会常務理事の外間邦子さん(85)=那覇市=は物心ついても母親に甘えた記憶がない。5歳の時、姉で泊国民学校5年の美津子さん=当時(10)=と同3年の悦 ...
一緒にいた母と姉を失う 対馬丸撃沈の生存者・照屋さん、70歳迎え語り部に「戦争だめ、一人でも多くの人に」
対馬丸事件の語り部として活動する生存者は年々少なくなっている。照屋恒さん(84)=那覇市=は対馬丸記念館で自身の体験を語る数少ない一人。4歳で対馬丸に乗船し、 ...
「対馬丸」の乗船勧めた姉 後悔し続けた80年 弟の手がかり求め、見つけた小さな“光” 沖縄
後悔し続けた80年だった。1944年、県立第二高等女学校1年生だった那覇市の又吉正子さん(92)は3歳下の弟・国吉真英さん=当時(10)=に、本土へ疎開するよ ...
「対馬丸事件」から80年 米潜水艦の魚雷で撃沈、1484人が犠牲に きょう慰霊祭 沖縄
2024/08/22
#対馬丸
太平洋戦争中の1944年8月、沖縄から九州へ疎開に向かう学童らを乗せた船「対馬丸」が米軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、784人の子どもを含む1484人が犠牲 ...
「娘の命ないのに、金だけもらってどうするか」対馬丸遺族、さまざまな思いを胸に あす撃沈80年
那覇市若狭の対馬丸記念館に20日、新たに8人の遺影が掲示された。きょうだいや祖父母の存在を証明するため、あるいは供養、戦争の悲惨を伝えるため。遺族はさまざま思 ...
生後50日の子残し、父が乗る「湖南丸」撃沈 政府の遺族補償も一切なく<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>4
1982年、名護市議の大城敬人さん(83)らは記者会見を開き、戦時中に軍事機密で伏せられていた事実を明らかにした。「戦時中、『湖南丸』は米軍に撃沈された」。船 ...
対馬丸の悲劇描く 混声合唱組曲「海のトランペット」公演 25日に浦添のてだこホール 沖縄
2024/08/18
#エンタメCLUB
疎開する学童らを乗せた「対馬丸」の悲劇を描いた混声合唱組曲「海のトランペット~対馬丸の子どもたち」公演が25日、浦添市のアイム・ユニバースてだこホール大ホール ...
対馬丸事件「継承していく」 奄美訪問した児童らが沖縄に帰県
太平洋戦争中に疎開する児童らを乗せて沈没した対馬丸の悲劇を学ぼうと、県内の小学生15人が鹿児島県・奄美大島を訪れて関係者と交流する研修が13~15日にかけて行 ...
対馬丸の記録映画「満天の星」が完成 生存者の孫、寿大さん出演「風化にあらがう」 22日、那覇で慰霊上映会
1944年8月に那覇を出港した、疎開する学童らを乗せた船「対馬丸」が米軍に撃沈された事件から80年の節目に合わせ、生存者の証言などを基に検証したドキュメンタリ ...
石垣市を離れ、那覇港発の湖南丸撃沈 15歳の兄、犠牲に 妹、島の軍拡「戦争再来」と怒り <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>3
今年3月24日、那覇市若狭にある「海鳴りの像」。戦時遭難船舶26隻の犠牲者を悼み、刻銘板に名が刻まれている。初めて訪れた石垣市登野城の山里節子さん(86)が、 ...
日本軍、目撃者に厳しく口止め 当時の児童ら、40年かけ「記録残さねば」疎開の体験つづる <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>2
沖縄から長崎に船が到着すると、乗り込んできた憲兵が疎開してきた首里第二国民学校の児童らに告げた。「対馬丸の沈没を口外したり、故郷に手紙で知らせたりしたらスパイ ...
つらい記憶、証言に残し 「戦争は嫌だと叫びたい」 <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>1の続き
1944年8月22日に起きた対馬丸撃沈事件から約1週間後、当時7歳の喜友名トミさん(87)は救助された。鹿児島から宮崎の加久藤(かくとう)村に連れて行かれ、読 ...
「ねーねー」今も耳に残る声 母と弟亡くし、1人だけ助かり苦悩 <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>1
2024/08/16
#対馬丸
耳に残るのは「ねーねー(お姉ちゃん)!」と叫んでいた弟の声と、「しっかりつかまっておくんだよ」という母の声。なぜ、助けられなかったんだろう―。対馬丸撃沈事件に ...
1484人が犠牲になった対馬丸事件とは 住民は“足手まとい”と疎開 米潜水艦に狙われ撃沈
2024/08/16
#対馬丸
対馬丸事件とは、太平洋戦争中の1944年8月22日、沖縄から疎開する学童らを乗せて九州に向かっていた対馬丸が米潜水艦の攻撃を受けて沈没し、784人の子どもを含 ...
「戦争は平和のうちにやってくる」対馬丸記念館の平良館長が児童らに講話 大宜味小 沖縄
【大宜味】大宜味小学校(平良智校長)で6月21日、3~6年生を対象に「対馬丸記念館」館長の平良次子さんを講師に平和講演会が行われた。平良さんは、米潜水艦の攻撃を ...
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