夜の船上で明かりを消すと、隣の人の顔もよく見えなかった。強い波を受け、船体は大きく揺れていた。もし海に落ちたらと考えると身がすくんだ。「すごく寒いし暗いし、怖かった」。80年前、曽祖母はこの海に投げ出されたと聞いた。
浦添市の当山小学校6年の眞榮城百恵さん(12)は2023年12月、対馬丸記念館の学童疎開体験事業に参加した。曽祖母の糸数裕子(みつこ)さん(享年97)は、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した対馬丸の引率教員で、多数の教え子を亡くした。
「80年前、ひいおばあちゃんが何を感じ、どのような生活だったのか」
体験事業の間、当時の献立を再現した食事は量が少なく、味も薄かった。夜に乗船し、沈没した状況と寒さを体感した。疎開した子どもと同じように家族や友人と離れた。「3日間だから耐えられたけど、当時の人たちはどれだけつらかったのだろう」。曽祖母の気持ちが少しだけ分かった気がした。
その後、両親の勧めもあり、ことしの慰霊の日を前に募集された「児童・生徒の平和メッセージ」に初めて応募した。
「ひいおばあちゃんが生きのびてくれたから 今ここに私がいる 命をつないでいる 生きている」「今、平和な毎日だからこそ その平和のありがたさを 時々忘れてしまいそうになる(中略) だから私はつないでいく 平和が何かを 戦争のおそろしさを 命の尊さを」。詩は小学校高学年の部で最優秀賞に輝いた。
母茜さん(43)は糸数さんの孫に当たり、小学校の教諭。もし自分が教え子を説得して対馬丸に乗せ、全員を死なせてしまったら―。「私なら、自分が死んだ方がましだと思うかもしれない。祖母は口に出さなかったが、死にたいほどつらかっただろう」。戦後も生き抜いた祖母の思いを想像する。
一方、教員として、また一人の親として、自分たちが戦争を伝えないといけないと感じている。「今になって祖母の話の大切さが分かる」
百恵さんの父、善之介さん(45)も小学校の教諭。義祖母である糸数さんの体験を道徳の副読本にまとめ、命の大切さを伝える教材として活用している。ある時、考えてみた。
「学校で平和教育をせず、沖縄戦も対馬丸も教えなくなったら、どうなるか。20年後、30年後には戦争反対という声もなくなるかもしれない」
平和教育を廃れさせず、どう伝えるかを考えている。「娘は『忘れるからこそ、つないでいく』と話してくれた。一人一人ができることをすることが大切だ」。善之介さんも思いを新たにしている。
百恵さんはあらためて思う。当たり前の日常があることが平和だと。穏やかな海であるために、どうするのか。「周囲にも戦争のことを伝え、自分が大人になった時も戦争が絶対に起こらないようにしたい」
(外間愛也)
(おわり)