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一緒にいた母と姉を失う 対馬丸撃沈の生存者・照屋さん、70歳迎え語り部に「戦争だめ、一人でも多くの人に」


一緒にいた母と姉を失う 対馬丸撃沈の生存者・照屋さん、70歳迎え語り部に「戦争だめ、一人でも多くの人に」 対馬丸について語る照屋恒さん=15日、那覇市安謝
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 優希

 対馬丸事件の語り部として活動する生存者は年々少なくなっている。照屋恒さん(84)=那覇市=は対馬丸記念館で自身の体験を語る数少ない一人。4歳で対馬丸に乗船し、一緒にいた母と姉を失った。「館で活動する生存者は高良政勝代表理事と私ぐらいになってしまったが、1人でも多くの人に戦争はだめだと伝えていく」と継承に取り組む。

 幼かった当時の記憶は断片的で、戦後は当初から対馬丸について話をしたわけではなかった。70歳を迎える頃には生存者が減り「そろそろ自分も語らなければ」と踏み出した。語り部の依頼を引き受け、記憶をつなぎ合わせながら伝えている。「なぜ疎開があったのか」「なぜ子どもたちが巻き込まれたのか」などの経緯にも触れる。

 「沖縄戦当時と比べて平穏な日を過ごす世代が戦争の話を聞いても、ぴんとこないのでは」。来館する県内外の児童や生徒などに向かい続け、体験を継承する難しさを自問することもある。

 昨年、同じく語り部として活動した平良啓子さんも88歳で亡くなった。照屋さんは「体験を語れる最後の人間になるのかなという寂しさがある。1人でも多くの人に話し、戦争はだめだと感じてほしい」と語り続けていく。

(中村優希)