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姉思い8月になると涙した母 対馬丸撃沈80年 「沖縄、平和の発信地に」


姉思い8月になると涙した母 対馬丸撃沈80年 「沖縄、平和の発信地に」 姉の乗る対馬丸を見送った時の様子を語る津波古敏子さん=22日、那覇市若狭の小桜の塔
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 対馬丸の撃沈で2歳上の姉の嘉子(よしこ)さんを亡くした津波古敏子さん(90)は慰霊祭に参列し、「母親は96歳で亡くなるまで8月になると涙を流し、苦しい思いをしていた。その思いを引き継いでいる。もう二度と戦争のないようにと祈った」と語った。

 勝ち気な姉は「絶対向こうに行く」と言い張り、親の反対を押し切っての学童疎開だった。那覇港に見送りに行ったが、兵士や見送りの人がごった返していたという。「ボートよりちょっと大きい船から兵隊たちがたくさん下りてきて、交代でそれに子どもたちが乗った」。波の上から船の出航を見送った。

 姉と一緒に疎開した、いとこ3人のうち1人だけ戻ってきたものの、かん口令が敷かれており、何も聞けなかった。「5年前ぐらいにようやく話してくれたが、そのいとこも亡くなった」。撃沈から80年。今の沖縄の状況を「自衛隊が戦争準備のようなことをして、とても悔しいし大反対。沖縄は戦争をしない、平和の発信地にしてほしい」と願った。

(中村万里子)