対馬丸を含め、嘉義丸や湖南丸、台中丸などを「戦時遭難船舶」と表現する場合があるが、「遭難」という表現は実態を表していない。これらの船は米潜水艦などの攻撃により「撃沈」されたのであって、台風などの自然災害によって遭難したのではない。戦時撃沈船舶という表現のほうがより実態を示している。かつて日本が退却を「転進」、全滅を「玉砕」などと表現したように実態をゆがめてしまう。
壮絶な地上戦が展開された沖縄戦と違って、海の被害はあまり知られていない。私自身も1980年代に戦争中に南洋諸島などから引き揚げてくる船が被害に遭っていることを知った。いざ関係者から聞き取りを行おうとしたが、生存者も少なく調査は難航した。その後、遺族会の強い熱意で、1993年に戦時遭難船舶犠牲者問題検討会が県生活福祉部に発足し、座長代理に就任した。
県の努力もあり、県出身の民間人に関わる戦時撃沈船舶は26隻、犠牲者は3400人以上と結論付けた。ただそれは現時点の数字であって、全容を解明したとは言えない。今後も資料などが出てくれば犠牲者の数なども変わってくる。
見落としていけないことは、沖縄での地上戦の前に海はすでに戦場だった。そして、犠牲者の多くが軍の命令などで南洋から引き揚げ者や疎開住民だった。しかし、国は当時、かん口令を敷き、生存者や遺族を口止めした。これからも海の戦争の実態がどうだったのか、調査研究し、全容解明に努めるべきだ。
(談、平和社会学)