うるま市から訪れた金城米子さん(95)は娘と一緒に慰霊祭に参加し、第2会場の最前列に座った。那覇国民学校の生徒で当時13歳だった1歳年下の弟、東恩納盛喜さんが対馬丸に乗船し、命を落とした。「生きていたら94歳になるんだね。年も年だしもう来られないかもしれないけど、ちゃんと成仏して」と手を合わせた。
学校では学童疎開が呼びかけられ、盛喜さんや隣近所の子どもたちも船に乗った。乗船当日、金城さんは仕事で見送りに行けなかった。
数日後、対馬丸が魚雷攻撃でやられたという話が聞こえてきた。弟の状況が知りたくて、対馬丸の生存者がいるという自宅に行ったが、憲兵が立っていて会うことができなかった。弟は帰ってこなかった。
慰霊祭終了後、対馬丸記念館で弟の写真を探した。金城さんは「戦争はなくなればいいのにと思うが、次から次へと起こる。私たちからしたら考えられない」と話した。
(中村優希)