沖縄戦の組織的な戦闘が終結したとされる1945年6月23日から79年となる「慰霊の日」を迎えた。戦後27年間の米統治から日本に施政権が返還されて52年間を経た今もなお、不発弾が発見されて住民が避難を余儀なくされる状況がある。戦争に起因する所有者不明土地は100ヘクタール近くが残されている。戦没者の遺骨は、まだ地中で見つけられる時を静かに待っている。一方で台湾海峡有事の懸念を理由に政府による南西諸島の軍備強化が急速に進められている。戦後79年の今がいつか「戦前」と呼ばれてしまうことにならないか。危機感は拭えない。
<所有者不明地>民法改正で取得事例も
土地の権利関係などを示す公図、公簿などが戦火で焼失したことによる所有者不明土地は、今年3月末時点で県内27市町村に97・98ヘクタール、2662筆。復帰特別措置法によって県や市町村が管理するが、コストが課題だった。昨年施行された改正民法で、利害関係人による申し立てが裁判所に認められれば取得が可能になり、問題の解決につながることが期待される。
戦後の1946年から51年にかけ、米施政下で土地所有権の認定作業が行われた。申請すべき人がいなかった場合や一家全員が戦争の犠牲になったことなどが原因で申請されなかった土地が所有者不明土地となった。
墓地や拝所などは市町村、それ以外は県が管理している。県管財課の山口栄祐主査は「決して広くない県土の中で、土地が活用されず遊んでしまっている。草刈りや不法投棄警戒といったコストもかかる」と話す。
改正民法は、所有者不明土地の利害関係人が土地を取得することが可能となった。申し立てを受けた裁判所が必要と認めるときに、管理人が選任され、裁判所の許可を得て土地の売却などができる。利害関係人は、不明土地が適切に管理されないことで不利益を被る隣接地の所有者やその土地で公共事業をする自治体などが当たるとされる。
県内ではこれまで3件の申し立てがあり、32筆、0・14ヘクタールが取得された。うち2件は私人で、もう1件は粟国村が村内の原野に対して申し立てた。村北側の合計1042平方メートルを174万円で取得し、製糖工場の宿舎を建設している。 (沖田有吾)
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<不発弾>いまだ残る1880トン 県民生活脅かす
今年4月、米軍嘉手納基地の脇を通る国道58号の一部が約3時間半、通行止めとなった。基地内で発見された米国製500ポンド不発弾の処理に伴う措置だ。今もなお、県民は不発弾に生活を脅かされている。
沖縄戦で投下された弾薬約20万トンのうち、5%の1万トンが不発弾となったと推定される。日本復帰までに住民らによって約3千トン、米軍によって約2500トンが処理され、復帰後は自衛隊によって約2120トンが処理された。
山林や海底にあり、発見困難で処理できない永久不明弾は500トン程度と見込まれるが、それを差し引いても1880トン程度が県土に埋もれている計算になる。
不発弾の多くを占める米軍の5インチ艦砲弾の処理について、4月から密閉式の鋼の容器「耐爆容器」を使った処理に切り替えたことで、避難半径は従来の88メートルから25・5メートルに縮小が可能となった。まだ実際に使用された例は少ないが、今後住民負担の軽減につながることが期待される。(沖田有吾)
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<遺骨収集>DNA申請、身元判明なし
県のまとめによると、2023年度の沖縄戦戦没者の遺骨収集数は60体分(暫定値)だった。収集対象となっている18万8136体のうち、24年3月末までに18万5523体が収骨されたが、2613体が残されている。
収骨された遺骨は、国によって鑑定作業が進められる。厚生労働省では、遺留品などの手がかり情報がない場合でも公募によるDNA鑑定の申請を受け付けている。
厚労省社会・援護局事業課によると、17年度から23年度末までに沖縄で戦没した遺骨のDNA鑑定申請件数(公募)は1585件だった。
このうち、23年度に申請があったのは94件。作業が続いているが、現時点で身元が分かったケースはない。県保護・援護課の担当者は「戦後79年が経過していることや沖縄の高温多湿な環境も遺骨の状態に影響している」と話す。
県は、国から委託を受けて遺骨収集事業を実施。費用は全額国庫で負担され、本年度は約2970万円を収集事業やボランティアへの支援費などに充てている。(與那原采恵)