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「この角地を買いたい」塩漬けエリアが動き出した瞬間<ニライの都市へ 北谷・振興計画50年>3 


「この角地を買いたい」塩漬けエリアが動き出した瞬間<ニライの都市へ 北谷・振興計画50年>3  若者や観光客らが行き交うミハマセブンプレックス前=2024年3月16日、北谷町美浜(喜瀬守昭撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 石井 恵理菜

 沖縄市と北谷町を結ぶ国体道路を北谷向けに走っていると、目の前に広大な土地が広がった。「いい土地だな」。西海岸に面した真っさらな土地は、後にアメリカンビレッジとして人気の観光地となる。映画館事業に携わった國場組の國場幸也氏(現・富士フイルムBI沖縄会長)が、県内で新しい映画館の形を模索している時だった。

 1990年代初期、映画興行は伸び悩んでいた。県内建設大手の國場組は、国際通りを中心に映画館を展開。國場氏は米西海岸の映画館を回る中、郊外のシネマコンプレックス(シネコン、複合型映画館)の存在に着目していた。シネコンは一つの建物に複数のスクリーンを持つ。米国で60年代に誕生し、93年には外資系シネコン「ワーナーマイカル」が神奈川県海老名市に上陸した。外資系シネコンの日本進出は“黒船襲来”とも恐れられた。

 國場氏は北谷町のアメリカンビレッジ計画を知ると、シネコンとの親和性を確信した。「商業用地にしぼり開発を進めていること、郊外のシネコンに必須な広大な駐車場があることが進出の決め手だった」(國場氏)。

米西海岸の映画館を回って撮った写真を見せる國場幸也氏=2月29日、那覇市内
米西海岸の映画館を回って撮った写真を見せる國場幸也氏=2月29日、那覇市内

 町役場を訪れ、「この角地を買いたい」と地図を指さした。当時はバブル崩壊後で企業進出は塩漬け状態。國場氏は「役場も企業に振り回されたんだろう。本当に進出するか半信半疑だったよ」と笑って振り返る。

 「何もない所に造るのか」「やけどをするぞ」―。社内や銀行からは反対の声もあったが、シネコンの将来性を確信し周囲を説得。約6600平方メートル(約2千坪)の土地を購入し、すぐさま着工した。

 97年7月12日、七つのスクリーンを持つ県内初のシネコン「ミハマセブンプレックス」が開業した。アメリカンビレッジ出店第1号だ。開業日を話題の最新映画「もののけ姫」と「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」の公開日に合わせるため、8カ月の突貫工事だった。米国にいるかのようなネオンに色使い、最新の音響設備に、連日若者や家族連れで大盛況だった。「映画が面白いのはもちろん、雰囲気を面白いと思ってくれた」(國場氏)。ロビーに寝転び、予告編が流れる何台もの画面にくぎ付けになる子どもたちの姿があった。

 人気ぶりは、アメリカンビレッジへの進出を様子見していた企業を動かす起爆剤となった。辺土名朝一元町長(87)も「映画館ができて一気に街が動いた」と振り返る。

 國場氏は「映画館を造りたくてしょうがなかった。沖縄の人に余暇時間を提案したかった」と思いを語る。國場組にとって、外資系シネコンが県内に進出する前に、地元資本で先手を打った形ともなった。

 その後、琉球ジャスコやボーリング場、観覧車、飲食店などが続々と開業。段階を踏んだ街の発展は、訪れる人たちを飽きさせなかった。

(石井恵理菜)

ニライの都市へ 北谷・振興計画50年 目次

  1. (1)行政マンが作った全国有数の映えスポット・美浜 「基地の町」から「魅力ある町」へ
  2. (2)バブル崩壊、町は1日100万円の借入利息に直面
  3. (3)「この角地を買いたい」塩漬けエリアが動き出した瞬間
  4. (4)目玉は1500台の町営無料駐車場 街づくりのテーマに事業者も呼応 「土地を買いたい」トラックに札束積む企業も
  5. (5)止まらない地価高騰「若者は住めない街に…」 米軍向けから需要変化 移住者、別荘、海外の富裕層投資も
  6. (6)4千人増の想定も住民票置かず…「投資に人気の地」のジレンマ」 基地返還で定住人口増へ

2024年(令和6年)3月に掲載された石井恵理菜記者による連載「ニライの都市へ 北谷・振興計画50年」全6回は、琉球新報デジタルプライムで読めるほかに、電子新書として読み切りで購入することができます。