県勢5人のパリ五輪が10日、アーティスティックスイミング(AS)を最後に全競技で終了した。16歳から39歳まで、最後の最高峰の舞台を味わい尽くしたり、次の五輪へつないだり、それぞれに懸ける思いがあった。6本の試技でメダルを逃した重量挙げの宮本昌典、最後の五輪を特別な地で迎えた自転車ロードレースの新城幸也、控えGKでチームメートのサポートに徹したサッカーの野澤大志ブランドン、途中出場で存在感を示した水球のGK棚村克行、初の五輪で悔し涙を流したASの比嘉もえ。それぞれの戦いを紹介する。
重量挙げ男子73キロ級の宮本昌典(沖縄工高―東京国際大出、同大職)は男子40年ぶりの表彰台が期待されたが、大会1カ月半前の腰痛で記録が伸びず、6位入賞に終わった。「悔しい。期待させておいて申し訳ない」と反省するも「今の力を出し切った」と表情はすっきりしていた。
スナッチ1本目から4月のワールドカップより軽い重量で始まり、スナッチ3本目は珍しく斜め横に倒れてしまった。各選手が重量の申請で駆け引きする中、宮本もメダルを狙ってジャーク3本目で193キロに挑んだ。練習で成功したことがある重量だったが、腰痛の影響で失敗した。
プレッシャーを力に変え、リラックスした表情で臨んだ。扁桃(へんとう)炎のため7位となり、悔し涙を流した東京五輪の時とは別の姿があった。集大成と見込んだパリでメダルは取れなかったが、「4年後のロサンゼルスに向けて頑張る」と宣言した。