県勢5人のパリ五輪が10日、アーティスティックスイミング(AS)を最後に全競技で終了した。16歳から39歳まで、最後の最高峰の舞台を味わい尽くしたり、次の五輪へつないだり、それぞれに懸ける思いがあった。6本の試技でメダルを逃した重量挙げの宮本昌典、最後の五輪を特別な地で迎えた自転車ロードレースの新城幸也、控えGKでチームメートのサポートに徹したサッカーの野澤大志ブランドン、途中出場で存在感を示した水球のGK棚村克行、初の五輪で悔し涙を流したASの比嘉もえ。それぞれの戦いを紹介する。
18歳で石垣島からパリに渡った新城幸也(八重山高出、バーレーンビクトリアス)が、自転車男子個人ロードレースの出場者最年長の39歳で「第二の故郷」に舞い戻った。「まさか五輪に4度出るなんて1ミリも思っていなかった」と感慨深げに涙を浮かべた。
日本からただ1人の出場者となり、アシスト役と分担できない分、他国より不利な状況だった。集団の後方に付いていったが、終盤の丘陵地点で前方と離され、これまでの五輪で最も低い56位に終わった。「今の順位が僕の力」と振り返った。
県勢の五輪最多出場者は、スタート位置につく時から表情はさわやかで、自身最後の五輪をしみじみと味わっていた。今後の目標はレース直後は思いつかなかった。9月で40歳。チームに戻り、できるだけ長くトップクラスで走り続けるつもりだ。