>>>【元の記事を読む】普天間の移設条件に「国連軍」基地維持を要求 96年の米公文書で判明
日米が1996年4月に「普天間飛行場の返還」を発表する直前に、米側の日米特別行動委員会(SACO)作業部会が作成したとみられる公文書「普天間海兵隊飛行場の移設」。移設条件として冒頭に「普天間飛行場の軍事機能と能力を代替すること」を掲げた。続いて朝鮮半島有事の際に米軍以外の外国軍が使用できる「国連軍基地の提供」を挙げており、米側が国連軍基地の存在を重視していたことが伺える。
その上で「現在、普天間に駐留している海兵隊の陸上部隊とその航空支援は、朝鮮有事の作戦計画にとって極めて重要である」とした。
公文書では嘉手納飛行場への統合案も「一つの選択肢」と記述されているほか、在日米軍基地の軍事機能は既に最大能力に達しているとして「有事における自衛隊基地の活用」も挙げた。
公文書を入手した東京工業大の川名晋史教授は、94年の北朝鮮を巡る核危機で朝鮮戦争が再開した場合、米韓を含む国連軍は後方支援拠点の在日米軍基地を活用して対北朝鮮作戦を展開する想定だったと説明する。
「米国は当時、日本から米軍以外の外国軍が輸送などの兵たん支援を行える唯一の根拠だった国連軍基地を重視していた。だから普天間を返還するならば、新たな国連軍基地が必要となったのだろう。今後、普天間飛行場の返還が実現した場合、名護市辺野古の新たな基地も国連軍基地に指定されるのは過去の国会答弁からみても既定路線だろう」と語った。
(梅田正覚)