「連載:国防が奪った 沖縄戦79年」の記事一覧
軍事要塞化、祈りの島壊す 繰り返す空襲に死を覚悟 “国防”の名の下、再び暮らし脅かす<国防が奪った 沖縄戦79年>6
「荒潮の息吹きに濡れて 千古の伝説をはらみ 美と力を兼ね備えた 南壁の防壁与那国島」 石垣島出身の詩人、伊波南哲(1902~76)は与那国島を「航空母艦」に ...
現在の基地強化、土地規制「戦前と同じ」 住民を動員し厳しく監視「軍機を語るな」 <国防が奪った 沖縄戦79年>5
1943年夏、読谷山(当時)、嘉手納、伊江で陸軍飛行場が着工されたものの、沖縄戦を指揮した第32軍が44年3月22日に創設されるまで完成しているのは皆無だった ...
「あの小さなおにぎりは…」乏しい食糧、軍に供出 成立した有事の増産指示「まるで戦前」<国防が奪った 沖縄戦79年>4
戦前、大宜味村の喜如嘉国民学校の敷地にはホウセンカやダリアなどの花々が咲いていた。やがて、戦況と共に花は消え、換わりにイモが植えられた。同校に通っていた平良俊 ...
「基地あれば攻撃の的に」 死者数違う「津堅」と「宮城」 軍の存在、運命の分かれ道に<国防が奪った 沖縄戦79年>3
1944年10月10日、沖縄本島の東にある宮城島沖合。米軍機が投下した爆弾で海上のマーラン船が爆発炎上した。当時11歳の根保幸德さん(90)は、うるま市宮城島 ...
「死ぬのは名誉」実態知らされず 教育、国に尽くす子を作る場に<国防が奪った 沖縄戦79年>2
1938年、那覇市の真和志小学校。3年の翁長安子さんが教師に聞いた。「あれ、なに?」。役場職員が白木の箱を抱え、立っていた。「兵隊さんがお骨になって帰って来た ...
「日本のために犠牲になってくれ」 波照間島から住民をマラリアの死地へ 癒えぬ悲しみ、押し寄せる再軍備の波<国防が奪った 沖縄戦79年>1
2024/06/19
#“新しい戦前”にしない・沖縄戦79-80年
「勝ってくるぞと勇ましく 誓って国を出たからは」 1944年当時、波照間国民学校1年の波照間シゲさん(86)は軍歌を高らかに歌い、集団で登校した。雨が降れば ...
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