世界のウチナーンチュ36万人分布図
- ヨーロッパ
- 活躍の場を海外に求めるウチナーンチュはヨーロッパへも渡った。現在、フランス、イギリス、ドイツ、スペイン、スウェーデン、スイスの6カ国に7県人会が組織されている。
- 中国
- 国策による満州農業移民で1938年に満蒙開拓青少年義勇軍が移住
600年の沖縄と福建省の交流を踏まえ、98年に福建・沖縄友好会館が完成。(伊志嶺正次会長)が発足。2000年に進出企業12社でWUB中国が組織された。 - フィリピン
- 1904年、道路工事従業者として360人が移住
県系人は1800人
35年の時点で県出身者6229人が在住したが、敗戦で送還される。戦後移住者らで現在、フィリピン沖縄県人会が組織されている。 - 南洋群島
- 1914年、糸満の漁師ら17人がサイパンに渡航
42年時点で56927人の県出身者が在住し、主にサトウキビ作に従事。44年、日米両軍の戦闘で多数が犠牲に。南洋群島帰還者による慰霊墓参が行われている。 - アルゼンチン
- 1909年、ブラジルから10人が転住。13年に14人が沖縄から移住。
県系人は25800人
戦後いち早く、48年に移住再開。約3900人が移住した。在亜沖縄県人連合会(米須清文会長)に914人が所属する。 - カナダ
- 1900年に2人が米国から入国。07年に152人が鉄道工夫として移住
県系人は1400人
4県人会が活動。沖縄サミットでクリティエン首相が南風原町を訪問し、新たな交流が始まった。 - メキシコ
- 1904年、223人が移住
県系人は800人
戦後移住者は12人。メキシコ沖縄県人会(山入端文博会長)には160人が所属している。 - ペルー
- 1906年に111人が移住
県系人は66500人
40年の排日運動で、県出身者も被害に。太平洋戦争中、県出身者は敵性国民として労苦を重ねた。健在、ペルー沖縄県人会(島袋フアン会長)には約1500人が所属する。 - ボリビア
- 1910年、ペルーから30人が転住。19年に1人が沖縄から移住
県系人は6200人余
54年、琉球政府はボリビア計画移民を開始。64年の19次まで続いた。原因不明の「うるま病」で第1陣の13人が亡くなった。県系人の多くが入植地のコロニアオキナワで大豆作などに従事している。 - アメリカ
- 1901年、ハワイから2人が転住。03年に沖縄から51人が移住
県系人は89270人
県人会は2000人の会員が所属する北米沖縄県人会(当銘貞夫会長)をはじめ35県人会が活動している。 - ハワイ
- 1899年、当山久三のあっ旋で27人が移住。沖縄移民の嚆矢(こうし)となる。
県系人は49000人
550頭の豚を送るなど故郷の戦後復興に尽力。60年代、ハワイ東西センターで多くの沖縄出身学生が学んだ。HUB(ハワイウチナーンチュビジネスアソシエーション)はWUBの母体となった。 - キューバ
- 1917年に1人が移住。メキシコからの転住者も
県系人は190人
2000年8月、県人会組織・キューバ沖縄友好協会(アントニオ・ヨヘナ・デ・オロ会長)が発足。沖縄から訪問団も訪れた。 - ブラジル
- 1908年に325人が移住
県系人は約169000人
35年には10600人が在住。戦後移民も9500人に上る。ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)に2700人が所属している。