<書評>『聞書・中城人たちが見た沖縄戦』 追悼と回想ともにする空間


<書評>『聞書・中城人たちが見た沖縄戦』 追悼と回想ともにする空間 『聞書・中城人たちが見た沖縄戦』久志隆子、橋本拓大著 榕樹書林・2970円
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 沖縄戦の体験者が次々と亡くなる中、新たな記録が刊行された。中城村津覇の証言を中心に、「針の穴から抜け出るようにして生き残った」人々の記憶を整理し考察したものである。これまで証言が多くなかった地域だけに貴重な一書である。

 本書は琉球大学大学院でまとめた修士論文がもとになっている。研究発表での集団的検討を経ており、証言者の状況や生き延びた経緯が客観的で分かりやすい。沖縄戦の文献の引用も多く背景を理解するのに役立つ。

 津覇では、1944年、国民学校に賀谷部隊が駐屯する前から、地上戦に備えた軍の動きに住民が巻き込まれていった。

 中城は米軍を迎え撃つ重要な陣地とされ、宜野湾と津覇を結ぶ地が重要な防衛拠点と位置付けられていく。証言からは、食糧の供出や炊事係、壕掘り、西原飛行場建設などに住民が動員された状況がつぶさに分かる。これまで未確認だった従軍慰安所の存在も初めて証言された。

 沖縄戦になると、嘉手納から中城村久場に米軍が予想以上に早く侵攻してきた。多くの住民は北部への疎開が遅れ、津覇にとどまるか、南部への避難を余儀なくされた。

 避難時に「兵隊のいないところに逃げよ」と兵士に助言され助かった例、避難できず国民学校の裏山に隠れ捕虜になった例など、その時のとっさの判断が生死を分けたと証言する。

 沖縄戦後、ハウスメイドをした3人の女性の対談には「苦しかったのは自分だけではないという安堵(あんど)に似た共感」がある。対話が共感を呼び、無念にも亡くなった人々への追悼と回想をともにする空間となっている。本書刊行の最大の意義である。

 著者の両親への取材が縁で、NHK国際放送局の橋本拓大氏(本書のコラムを担当)が聞き取りに参加したことは本書成立に大きな意味を持った。共同で聞き取りすることでより広範な人々の証言と知見が得られた。

 防衛省防衛研究所所蔵文書や沖縄県援護課「軍属に関する書類綴」は、今後も研究資料として重要である。

 (武藤清吾・琉球大名誉教授)


 くし・りゅうこ 1955年中城村生まれ。元中学国語教師。琉球大大学院人文社会科学研究科国際言語文化専攻博士前期課程修士(歴史学)修了。農業、雑貨作りをしながら中城村津覇における沖縄戦を研究。

 はしもと・たくもと 1966年埼玉県生まれ。NHK国際放送局World News部所属。