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<第51回琉球新報短編小説賞受賞作>上地庸子「寄居虫(やどかり)」 (2/7ページ)


この記事を書いた人 Avatar photo 與那嶺 松一郎

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 玄関扉を開けると、風は夕方から弱まることなく吹いていた。ブルゾンのジッパーを首元まで上げた。音を立てて鳴る風は体感温度を下げる。民家が点在する村道をゆっくり下っていく。通る車も街灯もない夜道に星の光だけが付き添って、足取りは硬く鳴っていた。

 十五分ほど歩くと自宅が見えてくる。1LDKの小さな平屋を持つ大家は、若い夫婦や、子どもが独立した老夫婦を借り主に見込んだのだろう。私の軽自動車が車庫に、夫の乗用車が玄関前の砂利道に停められている。

 玄関の戸を開くと線香のにおいが鼻をついた。夫はちゃぶ台にかがみ込むように夕食をとっていた。私は手を洗い、上着を脱いでから鞄の中身を整理した。時折、夫が味噌汁をすする音がした。自宅には閉じた個室がない。ダイニング、リビング、寝室の六畳間はふすまで仕切られているものの、逐一開閉するのが面倒だから、常時開け放たれている。私たちは、手洗いと入浴を除いては常に空間を共有せざるを得ない。

 線香の煙は家のどこであってもかすかに漂う。空気の届かない胸の底までも、においは行き着く。

 風呂に入ろう、と私は思った。着替えを取り出そうと、ふすまの手前に置かれたチェストの引き出しに手をかける。

「忘れてたの?」

 肩越しに夫の声が届く。平静に努めようとしている鼻声だった。

「忘れていたわけではないよ」

 同居人がつく音を立てないため息を、位牌置き場ができたこの一年半で何度聴きとったかわからない。

「とりあえず線香だけでもあげて」

 チェストの天板の一角に白い布が敷かれ、壁側に位牌が、手前に香炉が載っている。両側にロウソクが伸びる火立てがあり、花立てがある。手前に、蓋付きの壺があった。壺は私の両手で包みこめる大きさで、薄水色の地肌はまろやかな光沢を帯びていた。

 個包装の小さな白いせんべいとプリンが置いてあった。容器を触ると冷たい。夫が帰宅してから供えたものらしかった。

 五本の筋がついた線香(ヒラウコー)を真ん中で割り、先端に点火棒を近づける。線香の角が橙色に灯る。食事の音が止まった。夫は視線を向けずとも私の動作を意識している。橙色がじわりと横に進み、幅いっぱいに広がる火の筋になっていく。

 線香を香炉に立て、手を合わせた。瞼を開いたあと、毎度視線の置き場に迷っていた。遺影があればそれを見たのだろうが、ふすま紙をぼんやりと眺める以外にない。

 晃久の月命日に家を空ける私を、夫がどういう気持ちで見ているのか、いつしか気にならなくなっていた。咀嚼の音は止んだままだった。夫と私に無音が付き添って、小さな家で肩を並べていた。