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<第51回琉球新報短編小説賞受賞作>上地庸子「寄居虫(やどかり)」(3/7ページ)


この記事を書いた人 琉球新報社

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 次の週に、実家からほど近いコンビニで海苔巻きおにぎりを二つ買った。潮風に吹かれながら食べるとおいしいと思う、と言うと、姪はお菓子も欲しいとねだるので、ひとつだけ選ばせた。ポテトチップスの大袋を持ってきたので驚いたが、お菓子の種類をあらかじめ制限したわけではないので、それを買った。

 マイバッグを肩にかけ、海への道のりを行く。姪は赤いハーフパンツにショッキングピンクのTシャツを合わせ、薄紫のパーカーを羽織っていた。ビーチサンダルの鼻緒は黄色だ。冬枯れの色あせた景色の中で、姪の装いは目立った。

「那覇に住んでいた時、海に行くことあった?」

「ううん、あんまり」

「おばちゃんも行かないな」

「なんで?」

「あるのが当たり前だから」

「なんで今日は行くの?」

「波澄がいると、海があるのが当たり前じゃないって気づくから」

「よくわかんない」

 冬の村からは湿気が抜け落ちる。春と秋のない沖縄で、冬はひととき人間の体を冷やし、瞬きする間にまた夏にバトンを渡していく。夏と次の夏のわずかな境目に、草木はみずみずしく香り立つのをやめ、身を休めていた。小突くと音が鳴りそうな硬質な空気が曇天の下に溜まっている。軽やかな足取りの姪の周りだけ滑らかに空気が流れていくようだった。

 畑の広がる村道を三十分ほど下っていくと、浜辺に行き着いた。階段状の護岸の向こうに、砂浜が広がる。護岸では紫の花を咲かせて、ハマヒルガオが這う。満潮の波は穏やかに浜を飲み込んでは退いていく。

 私は階段ブロックに腰を下ろした。姪は転げるように水際へ駆けていく。

「おにぎりは?」

「あとで」

 無邪気さが目にまぶしかった。おにぎりのフィルムを剥がして、姪が常に視界に入るようにしながら口に運んだ。

 曇天のもとで海は色褪せていた。澄むことに飽きたように、鈍く淀んでいる。夏の抜けるような青空と蛍光色に届こうとする波の気配はどこにもない。刺すような陽光は、遠い昔の記憶になっていた。

 砂を蹴ったり、棒切れで浜に模様を書いたりしたのちに、姪はしゃがみこんだ。遠目では、手で砂を掻いているように見えた。実家の庭で見た姪の後ろ姿を思い出す。子どもは、身長が低いぶん目線が地面に近く、地表に対して鋭くアンテナを張っているようだった。

 雲の影の形が少しずつ変わっていくに従い、光景は少し陰ったり、明るくなったりした。

 姪が砂を鳴らしてこちらに走り寄ってきた。

「おばちゃん、ビニール袋ない?」

 理由を訊くと、ヤドカリを入れて持って帰るのだと言う。ハーフパンツのポケットに手を入れると、大人の親指の爪ほどのヤドカリを取り出した。私は鞄を探ったが、最低限の荷物しかなく、生き物を運べるような袋はない。

「ヤドカリは海がおうちだから。波澄もおうちから無理やり外に出されたら嫌でしょ。連れて帰るのはやめたら」

 諭したつもりだった。姪は顔をしかめ、私の傍らに置いてあったマイバッグからポテトチップスの袋を奪うように取り出した。袋の縁を両手で摘み、勢いよく引き裂く。弾けるようにポテトチップスがこぼれ落ち、コンソメの臭いが漂い立った。

「ちょっと」

 姪は無言のまま両手で袋を逆さまに持ち、上下に振る。裂け口から中身が落ち、地面に散っていった。護岸のコンクリートの上で、風に煽られたポテトチップスが転がっていく。袋を持ち階段を駆け下りていく姪の背中に呼びかけるが、反応はない。

 砂辺に降り立った姪はふたたび地表に目線を走らせていた。地を這うヤドカリを見つけては、飛びつくように手を伸ばす。つまみ上げた生き物を手早くポテトチップスの袋の中に入れた。

 真空の中に取り残された心地にさせられていた。考えのようなものに形を与えようと手を伸ばすそばから言葉は消えていく。私は姪と目線を同じくし、話をすべきだった。食べものを粗末にすることが、生産者に失礼であり、粗暴であり、周りの者を滅入らせる行為であると、説明すれば姪にも理解できるはずだ。そこまで考えた。けれど体は動かない。したいようにさせればよい。伯母の干渉がどれだけ姪の人生に影響するのだ。彼女のツケは人生のしかるべき面で自身に引き受けさせればよい。考えは自分へと矛先を変える。そんなふうに要所で逃げて、しかるべき場面で大人の義務を果たさないから、大人の権利も享受できないのだ。

 風が大きくうなった。思考にとりとめがないというより、混乱だと俯瞰できた時、体中の感覚器が目を覚ました。一段と空気が冷えていた。時間が経ってしまったのだと気づく。

 姪のもとへ近寄ると、見て、と嬉しげにポテトチップスの袋を差し出した。中を見ると、十匹以上の小粒なヤドカリが蠢いていた。寒くなってきたから帰ろうかと促すと、姪は素直に頷いた。

「ヤドカリ達はおうちに帰してあげよう」

 姪は首を振る。

「波澄、お願い。海から離れたらヤドカリは死んじゃうよ。波澄はこの子達を殺すの?」

 相手は黙って、首も振らなくなった。何もかもが億劫に感じた。ため息をついて護岸から公道へ歩みを進めると、私を追う足音が聞こえた。

 実家に着くと午後五時を過ぎていた。母がチャンネルを合わせてやり、テレビは幼児向け番組に切り替わった。姪はテレビの真ん前に座り込んだ。母が注意すると、うしろにずり下がる。ポテトチップスの袋はテレビの前に残された。意図したのかどうか、裂け口は上になり、底からヤドカリが這い上がるのは難しそうに思えた。袋を覗くと、鏡面のように磨き上げられた銀色の中で、ヤドカリは前進しようと肢を動かしては、滑ったり、転んだり、隣の同胞とぶつかったりしていた。

 数日後に実家を訪れると、ポテトチップスの袋は相変わらず開け口を上にしたまま、リビングの隅に置かれていた。中を確認する気にはなれなかった。

 次の週には、袋はリビングから消えていた。