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(4)新都心の一等地を勝ち取った那覇メインプレイス イメージの転換点に


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子

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サンエー那覇メインプレイス=那覇市おもろまち

 食料品や衣料品、外食に映画。大型駐車場を備え、ショッピングもアミューズメントも食事もここですべてが完結する利便性で、休日になれば多くの家族連れでにぎわう那覇メインプレイス。

 2002年10月に那覇市新都心に開店したサンエーの旗艦店だ。ファミリー層だけでなく、学生など若い世代が友人同士で訪れる場所でもある。それまで日用品を扱うスーパーという印象が強かったサンエーのイメージはここを境に大きく変化している。

 開業直前のインタビューで上地哲誠社長は「サンエーは1970年に那覇の1号店からスタートしたが、那覇に大型店をというのは創業者以来抱いていた思い。新都心地域は浦添を含め人口約40万人の商圏。そこに拠点店舗を構えた意味は大きい」と語っている。
 

最初は別の企業が出店予定だった

返還後、飛躍的発展を遂げた新都心地区=2014年7月撮影

 那覇新都心地区は戦後、米軍に強制的に接収され、米軍人・軍属の住宅地区となった。1987年に全面返還され、97年頃から開発が始まった。その最大の商業地域に建つのが那覇メインプレイスだが、当初の予定ではここに出店するのはサンエーではなかった。

 「那覇新都心173街区」と呼ばれていたこの土地は最初の公募ではジャスコ、マイカル、ダイエーが出店の意向を示し、97年4月にダイエーが第一交渉権を得て地権者と覚書を交わしていた。しかし、ダイエーが業績不振を理由に2000年1月、撤退。地権者が再び募集をかけるとサンエー、ジャスコ、大和工商リースが開発に名乗りを上げ、経済条件面からサンエーが選ばれた。

 最初の公募があった97年には名乗りを上げることができなかったサンエーが3年後には新都心の「顔」となる場所への出店を勝ち取ったのだ。

 この頃サンエーは96年に豊見城ウイングシティ、99年に具志川メインシティ、2000年につかざんシティと大規模店を次々と手がけ、売り上げも836億円に達した。県外の大手資本と肩を並べ、競争に勝つ「体力」をつけていた。
 

扱う商品に変化

那覇メインプレイス開店当日。開店に合わせて多くの客が訪れた=2002年10月1日、那覇市おもろまち

 那覇メインプレイス開店当日はオープン前から多くの客が列を作った。「すごく大きな店舗。ゆっくり買い物できる」。訪れた客は当時県内最大規模のショッピングセンターの広さに驚いた。那覇メインプレイス以前のサンエーの大型店は面積1万平方メートル程度。それに対し、那覇メインプレイスは約3万平方メートル。テナントは70店舗入居した。豊田沢取締役は「これまでおつきあいのなかったテナントにも声をかけないと成立しなかった」と振り返る。この頃からサンエーの新規店のテナントには「沖縄初出店」が増え、フランチャイズ契約も増えていった。

 メーカーのサンエーへの対応も変わった。通常のスーパーマーケットでは売らない百貨店で扱うような高品質高価格の「ワンランクアップ商品」を「メインプレイスなら」と卸してくれることが増えた。メインプレイスで実績が出れば、2番目の規模の具志川メインシティ、西原シティでも販売、さらに全店へと展開していく。身近なスーパーでありながら付加価値の高い商品を扱うことで同業他社との差別化につながっている。

 豊田取締役は那覇メインプレイス開店を「会社として一つ脱皮した」と位置づける。その後、サンエーは2005年に東証2部へ、06年には東証1部へ上場。店舗の規模も拡大。業態も多角化していった。

(玉城江梨子)

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