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沖縄で「年越しそば」の文化が定着したのはいつ?琉球新報でみる年越しの沖縄そばがメジャーになるまで


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
沖縄そば

 大みそかと言えば、年越しそば。沖縄では年越しそばとして、そば粉を使わず小麦粉の麺にかつお節ベースのスープが特徴の沖縄そばを食べる家庭が多い。大みそかが近づくと、紙面には「大忙しの製麺所」の写真と記事が載るのがお決まりだ。しかし、元々沖縄には、年越しそばの風習自体がなかった。いつごろから定着した文化なのか、そして沖縄そばを食べるようになったのはいつからなのか。琉球新報の紙面から振り返ってみた。

袋詰めされた沖縄そばを配送用ケースに並べる従業員ら=2021年12月29日、西原町小那覇の与那覇食品

>>昨年掲載の記事「年越しは沖縄そば 良い新年を願い 生産ピーク」

 日穀製粉のウェブサイトによると「年越しそば」とは大みそかにそばを食べる習慣で、江戸時代から庶民の間に定着したとされている。その由来は、そば切りは長く伸びるので、延命長寿や身代が細く長く伸びるようにと願う説、室町時代に大みそかに無病息災を祈ってそばがきを食べたのが始まりという説など、諸説ある。

 琉球新報の紙面に「年越しそば」が初めて登場したのは、1960年12月29日の夕刊。「大みそかになると年越しそばをたべるならわしがあります」との文面から始まる、習慣やそばの紹介記事だ。その中で沖縄については「沖縄ではほとんどそばを打つ家はなく、たいてい出来合いのものを使っているようです」と言及されている。

 年越しそばについて詳しく触れていたのが1982年12月24日付夕刊の記事。その記事では、沖縄の麺類メーカー・サン食品の土肥健一社長が「12年前から年越しそばを始めたが2年間は売れなかった。復帰したころから毎年三割ぐらいずつ増え、日本そばと沖縄そばが半々」とコメント。

年越しそばの定着を報じる1982年12月24日付の琉球新報の記事

 続けて、那覇市内の日本そば専門店「美濃作」の店主のコメントも。
 「七年目になりますが、初めのうちはどうして年越しそばを食べるのか分からないという人もいました。でも最近急に増えてきました。去年は持ち帰り分を入れて5千食売れた。本土の人だけでなく地元の人も多いですョ」。

 年越しそばを食べるという文化は、沖縄の日本復帰を境に徐々に広がったことが読み取れそうだ。

 また、この時期から、紙面には年越しそばを無料配布したり、福祉施設に寄贈したりするチャリティーの記事も出てきた。

 そのそばが「日本そば」なのか「沖縄そば」なのかは分からないものも多いが、1988年には「老人福祉施設に4千食の沖縄そばをプレゼントした」という記事が掲載されている。

年越しそば用の沖縄そば麺の生産を伝える1991年の記事。

 そして1991年の大みそかには「年越しそばで製麺所大忙し」の記事が初めて掲載された。浦添市内の製麺工場で麺を袋に詰める写真と共に「製めん工場では従業員、機械がフル稼働して『年越しそば』用の沖縄そばの生産に大忙し」と紹介。この頃から、沖縄では年越しそばとして沖縄そばの方を食べる文化が定着してきたのかもしれない。

 今年も年が暮れる。どちらのそばでも、おいしい「年越しそば」を食べて、新しい年を迎えたい。

※注:土肥氏の「土」は右上に「、」

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