沖縄戦「私たちが語り継いでいく」 語り部・中山きくさん告別式 参列者が別れ、平和へ決意【動画・中山さんが慰霊の日に語った言葉】


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中山きくさんの祭壇の前で焼香の列に並ぶ人たち=17日、那覇市銘苅のサンレー那覇北紫雲閣(ジャン松元撮影)

 がんのため12日に94歳で死去した元白梅学徒の中山きくさんの告別式が17日、沖縄県那覇市銘苅の那覇北紫雲閣で営まれた。戦争体験を共に語り継いだ友人や、次世代の語り部ら450人が参列し、中山さんとの最後の別れを惜しむだけでなく、沖縄戦を語り継ぎ平和をつくる意志を強くした。

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 中山さんは県立第二高等女学校の生徒だった沖縄戦中、看護要員として動員され悲惨な戦争を目の当たりにした。白梅学徒隊を含む九つの元女子学徒隊を束ねて「青春を語る会」を結成するなど、体験者の先頭で戦争を語り継いだ。

 二高女で中山さんと同級生だった岸本瑞江さん(94)は「戦争当時、私は沖縄におらず、申し訳ないという気持ちがあった。中山さんのおかげで、皆で集まって毎年慰霊祭ができた。沖縄戦を語り継ぎ一生懸命に頑張った。ご苦労さまと伝えた」と話した。
 

告別式を終え、中山きくさんの遺骨を乗せたバスに向かって最後のお別れをする参列者ら=17日、那覇市銘苅のサンレー那覇北紫雲閣(ジャン松元撮影)

 ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長(63)は「全女子学徒隊の同窓を束ねて尽力された。それが若い人たちの道しるべになったと思う」と話す。青春を語る会結成や書籍の刊行により「ひめゆり学徒隊」だけでなく、沖縄戦に動員された全ての女子学徒隊について広く知られることにつながったと活動を評価。「きくさんの思いを胸に抱いて沖縄戦を伝えていきたい」と継承を誓った。

 白梅学徒の思いを継ぎ、慰霊祭開催などに取り組む「若梅会」の新垣ゆきさん(35)は「きくさんは『私が死ぬ時は戦争の足音が近づいている時だ』と話していた。そうならないように、私たちが語り継いでいく」と、目に涙を浮かべながらも力強く語った。

 2004年に中山さんらの「後輩」となることを宣言し、その後も白梅学徒の体験を伝える沖縄尚学高校地域研究部の登川拓磨さん(18)と神里春七さん(18)は「(進学先の)県外でも沖縄戦を伝える」と、強いまなざしで誓った。
(稲福政俊、中村優希、中村万里子)

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