首里城地下の第32軍司令部壕、第1坑道と抗口の位置が分かる 米軍資料より西側に 沖縄県が調査結果を発表 


この記事を書いた人 Avatar photo 與那嶺 松一郎
日本軍第32軍司令部壕の第1坑口があったとみられる場所付近。戦時中に米軍の砲撃でふさがった=2022年7月、那覇市の首里城公園

 県は2日、首里城地下の第32軍司令部壕群詳細調査結果を発表し、未発掘区間となっている第1坑道と坑口の位置を推定したと発表した。2カ所のボーリング調査で坑道の床面を確認しており、2点を結ぶことで坑道中心部から坑口への方向を図面で記した。同調査結果は今後、県ホームページで公表する。

日本軍の司令部壕「32軍壕」ってどんな場所?

 県によると、第1坑道の位置は1945年8月に米軍が作成したインテリジェンスモノグラフ(情報報告書)を基に推定していたが、調査で確認したのは初めて。

 22年11月に首里城内の園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)近くの調査で第1坑道の床面を確認、今年1月には歓会門付近の調査で新たに床面を確認していた。いずれの地点も米軍資料よりやや西側だった。

 県特命推進課の山城憲一郎課長は2日、県庁で説明し「未発掘区間も多く残っている。安全を確保しつつ基礎的調査を進めたい」と述べた。県は2026年度に第1坑口の公開を目指している。
 (嘉陽拓也)

【関連ニュース】

▼首里城周辺の司令部壕入口の坑道口を訪ねてみた

▼繰り返された調査断念…32軍壕の調査決定までの流れを振り返る

【連載まとめ読み】32軍壕を読み解く・米軍報告書から

▼戦争遺跡の保存、自治体の姿勢に温度差…なぜ?

▼劣化、開発…消えゆく地下壕 那覇13カ所で埋め戻し

▼自治とは何だ 首里城下に眠る「負の遺産」が伝えるもの