「集中治療室に運ばれて『あと3日の命です』って言われたのに、気づいたらぴんぴんして退院していたっていう、そんな状況です」
この激動の2年間をそう振り返るのは、ブラジル唯一の邦字紙(日本語新聞)「ブラジル日報」で編集長を務める深沢正雪さんだ。
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コロナが追い打ち、「闇夜」に
ブラジル日報は2022年1月に創刊した新しいメディアだが、その前身はブラジルで70年以上の歴史を持ち、21年12月に廃刊した「ニッケイ新聞」だ。深沢さんは04年から同紙の編集長も務めていた。
ニッケイ購読者の平均年齢は80歳以上。日本語を話せる世代の減少で厳しい経営状況が続いていたところに、新型コロナウイルスの感染拡大で広告収入がほぼゼロになったことがとどめを刺したという。
ブラジルは新型コロナで米国に次ぐ約70万人の死者を出し、過激な言動から「南米のトランプ」と呼ばれたボルソナロ前大統領政権下で混迷も進んだ。
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深沢さんによると、邦字新聞の廃刊は特に高齢の移民1世たちの落胆が大きかったという。「周囲が大騒ぎしているけど何が起きているか分からない、という不安がある。どんな法律が制定されようとしていて、税制や福祉サービスはどうなるのか…といったことは日本語のほうがすっと頭に入る」
ニッケイ廃刊を受け「何とか邦字紙の存続を」と設立されたのが、日本の実業家の出資によるNPO法人「ブラジル日報協会」だ。同協会がブラジル日報と姉妹紙のポルトガル語新聞「 Nippon Já」を創刊し、何とか首の皮一枚でつながった。
「創刊は記者冥利に尽きるほど喜ばれた」と深沢さん。中には「(邦字紙の消滅で)世の中が真っ暗になって見えなくなると心配だった。これでまた世の中が見える」といった声も寄せられたという。
勝ち組、負け組の悲劇
邦字紙はまさに日系社会そして移民とともに歩んできた。
世界最大の日系人社会を抱えるブラジル。その歴史は1908(明治39)年、日本から最初の移民を乗せた「笠戸丸」がサンパウロのサントス港に到着した時に始まる。記録によると笠戸丸の乗船者781人のうち、約半数の325人は沖縄出身者だったという。
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初期の日本からの移民は1920年代~30年代に最盛期を迎え、邦字紙も次々と創刊したが、第2次世界大戦が勃発。1941年に日本語の使用や邦字紙の発行が禁止され、全ての邦字紙が廃刊に。再び発行できたのは戦後に新憲法が制定された46年だった。
戦時中、ポルトガル語が分からない日系移民にとって、情報源は日本からの短波ラジオで届く「大本営発表」のみ。戦後には日本が勝ったとのデマを信じる「勝ち組」と敗戦を受け入れた「負け組」に分断され、両者の対立で20人以上が犠牲になった。
邦字紙の歴史が再び動き出したのは、そんな「勝ち負け抗争」のさなかだった。46年創刊の「サンパウロ新聞」を皮切りに複数の邦字紙が創刊され、「日本語で正しい情報を」と日本やブラジルで起きていること、日系コミュニティーのニュースを発信し続けた。
戦後移民がピークだった1950~60年代の実売部数は大手3紙で合わせて約6万部あったとされる。
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邦字紙を「看取る」つもりで
現在、ブラジル日報で編集長兼記者として奔走する深沢さんは静岡県の出身。1992年、日本の企業を辞めて初めてブラジルに渡り、邦字紙「パウリスタ新聞」で3年間働いた。当時はブラジルからバブル景気の日本へ「デカセギ」に行く人が多く、深沢さんは帰国した人たちから「日本人は冷たい」「日本の会社で冷遇された」という話をよく聞かされたという。
「この人たちは自分が知らない『日本』を見てきている。この人たちの目線で見る『日本』を体験しなければ」。日本に戻ると、町民の5人に1人が外国人で「ブラジルタウン」として知られる群馬県大泉町へ。工場労働をしながらブラジル人コミュニティーの実情をルポし、後に「潮ノンフィクション賞」を受賞した。
「移民の立場に立った主張をする」。今も変わらない原点だ。
深沢さんが再びブラジルの地を踏んだのは98年。群馬の工場で働いていたある日、パウリスタ新聞時代の編集長から電話がかかってきた。「邦字紙はもう長くない。看取るつもりで来てくれないか」。数年なら、と軽い気持ちで引き受けた深沢さん。気がつけばそれから四半世紀、57歳になった現在まで邦字紙にどっぷりつかっている。
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「お前はすでに死んでいる」
「再出発」から間もなく2年を迎えるブラジル日報。「これまで完全に移民に依存してきた。今後、日本語新聞としての役割はなくなっていくだろう」と深沢さんはいう。
県人会に40以上の支部があり、市町村や字単位でも日系コミュニティーを築く沖縄は別格としても、日系社会そのものは高齢化が進み、関係団体のネットワークも分散化している。
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ブラジル日報の発行部数は公称1万部だが、実際には数千部程度という。紙媒体としての存続は厳しく、読者のターゲットも移民からネットユーザーへと軸足を移そうとしている。実際に、ブラジル日報の公式サイト訪問者のうち7割が日本からの閲覧だという。
新たに仲間に加わった20代の記者らを中心に、YouTubeやインスタグラム、TikTokといったSNSでの発信にも力を入れている。
「一度死んでますからね。今も『お前はすでに死んでいる』というゾンビ状態。生き残るために、いろんなことをやってみないとどうしようもない」と深沢さん。起死回生を図り、試行錯誤の日々だ。
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重篤なホームシックを抱える移民
現地のリアルな情報を、日本語で日本人向けに発信するー。ブラジル日報は、時代に則した方向へ大きくかじを切った。
それでも、深沢さんが「我々の1丁目1番地」とこだわるのは、日系社会を取材して記録し続けることだ。
今年10月、福島県人会で福島伝統「わらじおどり」の練習会を取材した深沢さん。若い世代が指導する踊りはまるでエアロビクスのように激しく、祭りばやしに乗せる合いの手も独特な南米のリズムで戸惑ったと笑う。
各県人会は2世や3世が会長になり、会話もほぼポルトガル語が中心だ。「組織の名前などで一見すると同じに見えても、本質的にはかなり変化している。日系社会がどう変わっていくのか、日々の記事から感じ取ってもらいたい」と語る。
移民世代にとって、身近な日系社会について報じる邦字紙の存在は“光”でもある。
移民の多くは、お金を稼いだら数年で帰国するつもりで海を渡った人が多い。しかし戦争の混乱に巻き込まれ、敗戦後の日本にも帰る場所は無くなった。日系社会が分断された「勝ち負け抗争」も経て、ブラジルに骨を埋める覚悟を決めて生きてきた。
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深沢さんはそんな移民たちの郷愁を「ホームシックがひどくなった病気のよう」と表現する。
「日本に帰ることを諦める過程はすごくつらかったと思う。ノスタルジーなどというものではなく、日本への気持ちが頭にこびりついて離れないような厳しい病気だと思います」
なぜ採算の見込めない取材にこだわり続けるのか。深沢さんはこう説明する。「新聞を通して日系社会の盛んな活動や、日系人の活躍を知ることができる。若いときに海を渡り、ここで家族を築いて生きてきた移民たちに『自分の人生は正しかったんだ』と思ってもらいたい」
桜の木の下で
「ふるさとには桜が咲かなきゃいけない。ブラジルをふるさとにするなら桜を植えなければいけない」。そんな思いで移民たちが植えた桜の木がブラジル各地にある。
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市民の憩いの場となっているサンパウロ市内のカルモ公園もその一つ。約4000本の桜の木が並び、毎年恒例の「桜まつり」は大勢の人でにぎわう。
最後に邦字紙記者としての使命を問うと、深沢さんはこう答えた。
「移民の思いはブラジルの歴史の中に形として残っていく。私たちはそうした現場で気づいたことや感じたことをきちんと記録として書き残していかないといけない」
(大城周子)
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「諦めたくない」 赤字続くブラジルの邦字新聞にかける県系若手記者の思い きょう「世界のウチナーンチュの日」
10月30日は世界のウチナーンチュの日。世界中に広がるウチナーネットワークの継承・発展を願い、ウチナーンチュであることを祝う日だ。多国籍国家のブラジルには世界 …