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一番の思い出は「校舎を造ったこと」 戦時下の学童ら90歳祝う 那覇高6期生 沖縄


一番の思い出は「校舎を造ったこと」 戦時下の学童ら90歳祝う 那覇高6期生 沖縄 歓談する那覇高校の6期生
この記事を書いた人 Avatar photo 宮沢 之祐

 今年90歳になる那覇高校6期生の「卒寿の集い」が24日、那覇市のパシフィックホテルで開かれ、45人が参加した。戦時下の苦労や、新しい校舎を自分たちで建てたことなど思い出を語り合い、校歌を合唱した。

 6期生は1934~35年に生まれた。2011年に、戦争体験記を集めた「戦時下の学童たち」を出版。米軍に撃沈された対馬丸の生存者や、沖縄戦で家族を失いながら「鉄の暴風」の中を生き延びた人、疎開で寒さや飢えに苦しんだ人らが手記を寄せた。

90歳を祝った那覇高校の6期生=24日、那覇市
90歳を祝った那覇高校の6期生=24日、那覇市

 この日は、コロナ禍でかなわなかった88歳の祝いも兼ねて開かれた。東京で弁護士として活躍した名城潔さんが乾杯の音頭をとった。

 那覇高には1950年に入学した。高校での一番の思い出は皆が「校舎を造ったこと」と口をそろえる。体育の時間に、女子は金づちで石を割ってバラスにし、男子がセメント、砂、水を混ぜてブロックを作ったという。3年生のとき、2階建ての校舎が完成した。

 「つらいとは思わなかった。物がないのは当たり前だった」と名城郁子さん。「共同作業の経験があるから6期生は結束が強い」と胸を張る。

 仙台から駆けつけた東北大学名誉教授の安元健さんは「那覇の町はどんどん姿を変えるが、人は変わらない」と旧交を温めた。与那嶺良子さんは紅型の着物姿で「かぎやで風」を披露。拍手を浴びて「孫の結婚式のために練習した」とはにかんだ。

 会長を務めてきた山城順子さんは「みんなに会えて、飛び上がるほどうれしい」と笑顔。閉会のあいさつで「またお会いしましょう」と呼びかけた。

 (宮沢之祐)