月夜には海へ続く道を星砂が幻想的に浮かび上がらせた。その光景は大地の「天の川」のよう。幼少の頃、そんな幻想の道を歩んだ記憶が故郷・石垣島の原風景だ。今は「畑がない。道もアスファルトになった。空も海も東京と違うが、雰囲気は変わった」。故郷の様変わりに寂しさもにじむ。
高校を卒業して上京した。もともと伯母が上京していて地歩を固めていた。それだけに上京はしやすい環境にいた。「島に仕事がないこともあるけどね」
上京して5~6年は「標準語が話せなかった。ウチナーグチだけでね。とにかく故郷に錦を飾ろうと」。起業意欲は満々で最初は自らトラックを購入して運送業を始めた。「会社を起こして、結構大きくしたんですけどね」。その後の2008年にリーマン・ショックで世界は金融危機と不況の波に襲われた。
その波の影響は自身にも及んだ。ところが人生は何が好機になるか分からない。2001年放送のNHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」は沖縄の物産、味わいの認知度を一挙に上げ、息の長い沖縄ブームを続けた。その波に乗って「知り合いが居酒屋を営んでいた。そこで手伝いをしながら飲食業を学んだ」。それをきっかけに「飲食一筋」だ。
「もう流されるがまま。各地でイベントがあれば、ちょくちょく呼ばれるようになった。それからかな。独立して自分でやろうと」。本格沖縄料理をキッチンカーで提供するお店「コミーダ・ラティーナ」を神奈川県川崎市を拠点に始めた。タコライスや沖縄そば。キッチンカー5台を擁して都内や神奈川県で沖縄の味を届ける。
島を出てから35年がたった。「墓参りは欠かさない。毎年2月か3月には必ず帰省する」。でも「昔のように田舎に帰ろうかなという感じではなくなった。遠いようで近い。3時間あれば、すぐ行って帰れる場所になった。もうこちらで生活の基盤もできたし、切り上げて帰ろうかという意識はなくなった」
とはいえ「離れている分、気になる存在ではある。先輩や後輩が市長や議員でもあるし」。話しているうちに40年近く前の懐かしい記憶が脳裏をよぎったか。やや悩みつつ「もうちょっと昔の石垣島であってほしい気持ちはある。あまり開発されずに。泳いでいた海が埋め立て地になり、サトウキビ畑もなくなった」。故郷の風景をたどった。
(斎藤学)
いしがき・たつや 1970年2月生まれ。石垣市新川出身。新川小、石垣中、八重山農林高校を経て上京。数々の職業を経験して、本格沖縄料理を提供するコミーダ・ラティーナの代表を務める。