「沖縄用語辞典」の記事一覧
喜舎場永ジュン (きしゃば・えいじゅん)
2003/03/01
1885~1972(明治18.7.15~昭和47.4.2) 八重山の歴史、民俗研究者。石垣島生まれ。教職の後、郷土の古謡や歴史、民俗の研究へ。『八重山民謡誌』 ...
基地交付金 (きちこうふきん)
2003/03/01
在日米軍が日米地位協定に基づく特権措置などで免除された固定資産税など市町村税を国が損失補のため市町村に支給する交付金。ただし必ずしも損失税額を満額補するもので ...
宜野湾朝祥 (ぎのわん・ちょうしょう)
2003/03/01
1765~1827(乾隆30.6.2~道光7.9.16) 尚王時代の摂政。歌人。尚穆王の四男。1789年に宜野湾間切総地頭職。翌90年、徳川家斉の将軍即位の慶 ...
キャンプ・コートニー
2003/03/01
沖縄本島中部の具志川市にあり、第三海兵遠征軍司令部が所在する海兵隊基地。同市の天願、昆布、宇堅にまたがる面積135ヘクタールの広大な基地で、事務所、訓練場、兵 ...
『球陽』 (きゅうよう)
2003/03/01
尚敬王代に編纂され、琉球史の基本史籍の一つ。鄭秉哲が王命で編纂(1745年)し、廃藩置県直前まで王府の系図座で書き継がれた。王家・国事(政治)、経済、宗教、社 ...
宜湾朝保 (ぎわん・ちょうほ)
2003/03/01
1823~1876(尚コウ20.3.5~明治9.8.6) 1862~75年三司官、歌人。1835年、父の家統を継いで宜野湾間切の地頭職となり、宜野湾親方を名乗 ...
金武朝貞 (きん・ちょうてい)
2003/03/01
1600~1663(万暦28~康煕2) 尚豊王~尚質王代の摂政。向姓金武家の二世、尚豊王の弟。1629年、一紙目録の再交付の受領のため上国。34年、尚豊王冊封 ...
9月9日 (くがつくにち)
2003/03/01
クングヮチクニチ、あるいは菊酒という。旧暦9月9日に行われる健康祈願の行事。酒を注いだ杯に菊の葉1枚か3枚浮かべて、仏壇や火の神に供え、家族の健康祈願をした後 ...
箏の日 (くとぅのひ)
2003/03/01
琉球古典芸能に欠かせない楽器に琴箏がある。琉球新報社が琉球箏曲興陽会と共催、9月10日(くとぅ)を「箏の日」に設定した。2001年が第1回。県庁広場で500人 ...
クロイワゼミ
2003/03/01
半翅目セミ科。全身薄緑色で体長2センチ内外の小形のセミ。イワサキクサゼミよりやや大きい程度。日本では沖縄本島と久米島だけに分布する。5月下旬ごろから薄暗い森や ...
軍転協 (ぐんてんきょう)
2003/03/01
沖縄県軍用地転用促進・基地問題協議会の略称。1977(昭和52)年4月、米軍基地や自衛隊基地にかかわる諸問題について協議するため設置された。県、那覇市、沖縄市 ...
刑特法裁判 (けいとくほうさいばん)
2003/03/01
1976、77年、県道104号越え実弾演習を阻止しようと、着弾地に潜入した労組員や学生が刑特法違反で逮捕、起訴された。弁護側は安保条約と刑特法が違憲だとして無 ...
原子力潜水艦寄港 (げんしりょくせんすいかんきこう)
2003/03/01
米国の原子力潜水艦のホワイト・ビーチへの寄港は、事前通告制により米軍から外務省を通じ24時間前に通告される。理由は「乗組員の休養、補給および営繕」となっている ...
5.15メモ (ご・いちごめも)
2003/03/01
沖縄の本土復帰の際に、日米合同委員会で在沖米軍基地の使用条件など運用のあり方を定めた秘密合意文書。1978年に県内の22の米軍施設および本土所在の6施設・区域 ...
高等弁務官 (こうとうべんむかん)
2003/03/01
米軍統治下の1957年から72年までの間、六代にわたる沖縄統治の最高責任者。米国防長官が国務長官に諮り、大統領の承認を得て現役の軍人から選任された。司法、立法 ...
コールセンター
2003/03/01
県内情報通信産業の代名詞的存在。NTTの番号案内から電話による商品受注業務、一般投資家を対象にした証券・金融商品の販売、コンピューター機器などのテクニカル・カ ...
国際都市形成整備構想 (こくさいとしけいせいせいびこうそう)
2003/03/01
1996年11月に策定した概ね20年後を構想した沖縄県の新しいグランドデザイン。平和、共生、自立が基本理念。沖縄の地理的優位性、自然的特性、アジアとの交流など ...
国民指導員 (こくみんしどういん)
2003/03/01
米国統治下の沖縄で、米国への理解を深めてもらうため同国に招待された各界代表者。米軍の宣伝政策計画「ナショナル・リーダー・プログラム」として1950年から実施。 ...
護佐丸 (ごさまる)
2003/03/01
?~1458(?~天順2) 唐名は毛国鼎、号は瑞享、中城按司護佐丸盛春。娘は尚泰久王の夫人。1416年、尚巴志の北山討伐に従軍し今帰仁城を攻略、次いで北山監守 ...
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