
那覇のまちぐゎーを象徴する風景がまた一つ、姿を消した。28日に催された牧志公設市場衣料部・雑貨部の閉場式。入居していた事業者たちは下りていくシャッターに手を合わせ、目を潤ませた。閉場に伴い店を畳んだ人、移転して再スタートを切った人、それぞれの道を歩んでいく。
ほとんどの事業者が片付けを終え、最後の一日は静かに過ぎていった。昼に訪れた72歳の女性客は成人した時に衣料部で振り袖を買った。当時、100ドル以上もした振り袖は娘に譲り、次は孫が着る日を楽しみに待つ。「なくならないでほしかった」と惜しんだ。
午後5時半に閉場式が始まり、雑貨部の安田雅一組合長(41)は「まちぐゎーに残って商売を続ける方もいる。ぜひまちぐゎーの空気を味わいに来てほしい」とあいさつを述べた。参列した事業者と城間幹子市長は記念撮影を終えると、カチャーシーを踊り出した。その一人、「仲松呉服店」の仲松洋子さん(83)は琉舞衣装などを販売していた。水上店舗に移転して店を続ける予定で「できる限り頑張りたい」と力を込めた。

衣料部の木本宏有基(きもとひろゆき)組合長(75)は少し離れた場所で式を見守った。木本さんは、妻の祖母・高志保カメさん、義母の喜屋武ヨシさんから「喜屋武商店」を継いだ。カメさんもヨシさんも戦争で夫を失い、働きながら必死に生きた。
店を継いだのは10年ほど前、ヨシさんが体調を崩したのがきっかけだ。「店を閉めたくない。死ぬまでここ(市場)にいたい」と治療を拒むヨシさんを説得するため、代わりに店に立った。ヨシさんは亡くなり、店を守る約束を果たそうと仕事を続けた。閉場に伴い廃業を決めたが「ほかに(公設市場を廃止せずに活性化させる)方法はあったのでは」と割り切れない思いを抱える。市場廃止後の建物について「まちぐゎーが活性化する使い方をしてほしい」と語った。
(伊佐尚記)
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