宮城リョータの故郷はどこ? 映画「スラムダンク」に描かれる風景から探る<沖縄DEEP探る>


宮城リョータの故郷はどこ? 映画「スラムダンク」に描かれる風景から探る<沖縄DEEP探る>
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
映画冒頭で映し出される集落上空を描いたカットと多くの点で一致する国頭村の辺土名集落の上空写真(グーグルマップより)

 人気バスケットボール漫画「スラムダンク」に登場する人気キャラクター、宮城リョータが沖縄出身だったことが描かれる映画「THE FIRST SLAM DUNK」。沖縄でのリョータの少年期や神奈川県に引っ越した後に高校生となって再び沖縄を訪れるシーンが描かれる。鑑賞後、「リョータの故郷ってどこ?」と思った人も多いのでは。作中に描かれる沖縄の風景を探った。
 (梅田正覚、古川峻、池田哲平)

 ■多くの一致点

映画で「浜っ子カップ」が開催され、高校生になったリョータが沖縄に帰った時も訪れた学校に酷似している旧源河小学校=7日、名護市

 映画の冒頭で海辺の集落を上空から見たカットが映し出される。地図アプリを用いて探すと、このカットは沖縄本島北部の国頭村にある辺土名集落の空撮に酷似している。漁港の桟橋や防波堤の位置、集落の背後に山がある地形など多くの点が一致する。

 さらに少年リョータと兄のソータが出場したミニバスケットボールの大会「浜っ子カップ」の会場となった小学校に着目した。北部地域の担当記者に聞くと、即座に「源河小だ」と声が上がった。

 源河小は、辺土名集落から国道58号を南に車で約20分の名護市内にあったが、2013年に廃校となっている。高校生となったリョータがバスで廃校となった小学校を訪ねるシーンもあり、この挿話とも一致する。

 そしてこのバスもかつての琉球バスが運行していた、通称「軍バス」と呼ばれた車体と配色が似ていることも分かった。

 浜っ子カップの会場となった旧源河小の体育館の取材を管理者の名護博物館に申請したが、「施設全体が老朽化しており、危険なので立ち入りは遠慮してほしい」と断られてしまった。

 ■やはり辺土名出身?

 リョータの故郷探しの手がかりとするため、映画の設定集「THE FIRST SLAM DUNK Re:SOURCE」を開いた。すると、漫画の作者で映画の監督も務めた井上雄彦さんが、リョータのキャラクターは1978年の山形インターハイ(総体)で全国3位となった辺土名高から着想を得たと明らかにしていた。

 「少し独特な沖縄バスケにはもともと注目していたんです。アメリカの影響を受けているのもあるんですが、小柄な選手が運動量豊富に素早く動き回る。僕が高校生になる数年前に“辺土名旋風”というのがあった。平均身長169センチの沖縄の辺土名高校がインターハイで3位になったんです。とてもおもしろい存在で。だから沖縄がルーツで背が低いガード、というキャラクターイメージは早い段階からありました。だから名字も沖縄に多い“宮城”にしたんです」

1978年の全国高校総体で旋風を巻き起こした辺土名高のポイントガードの金城健さん=9日、浦添市

 上背はないが、縦横無尽にコートを駆け回り、全国3位まで駆け上がった辺土名高の活躍は「旋風」と称された。当時のポイントガード(PG)だった金城健さん(63)にリョータのモデルではないかと尋ねると「そんなバカな」と笑う。しかし共通項も。辺土名の躍進を伝えた専門誌「月刊バスケットボール」78年10月号に記されている金城さんの身長は168センチで背番号は7番。リョータの身長と背番号と一致している。

 ■本場の影響

 金城さんは山形総体の5試合で平均35.8点をたたき出し、全国得点ランキングで1位となった。準々決勝ではドリブルで5人抜きしてシュートを決め、技術の高さを見せつけた。

 中学からバスケ部に入ると、NBAの試合が見られた米軍基地向けテレビ番組の影響を受けた。沖縄の一般家庭でも視聴できたからだ。NBA選手としては小柄な175センチで、サクラメント・キングスで活躍したPGのアーチボルトのプレーをまねた。「ドリブルで相手を崩してシュートまで持っていくのが辺土名のスタイルだった」と振り返る。まさに、リョータというキャラクターを特徴づける「ドリブルこそチビの生きる道」というせりふを地で行くプレースタイルだった。

 太平洋戦争終結から1972年までの27年間、沖縄は米施政下に置かれた。米軍基地から派生する事件事故は絶えなかった半面、フェンスを隔ててバスケの本場が身近にあった。このような特異な歴史が自由なプレースタイルを特徴とする「沖縄バスケ」を育んだ。

映画で宮城リョータが乗っていたバスと配色が似ている、琉球バス交通が運行する路線バス=2022年、那覇市(武井悠撮影)

 リョータの故郷は辺土名集落なのか。映画を制作した東映アニメーションは本紙の取材に対し「リョータの故郷について、特定の場所を決めて作画をしておりません」との回答が届いた。

 確かに少年リョータと兄のソータがプレーしたような海辺のバスケットコートは辺土名集落周辺では確認できなかった。リョータが住んでいた、石積みの「ヒンプン」や赤瓦屋根がある家屋が立ち並ぶ風景も近隣には見つからない。

 リョータのキャラクターは特定の地域から生まれたというよりも、本土とは異なる歴史と風土が培った「沖縄バスケ」そのものを背景に描かれたのではないか。映画ではリョータとソータが月刊バスケットボールを手に持つシーンが描かれる。作者の井上さんも少年時代に辺土名旋風の見出しが躍る「月バス」を手に胸を熱くしていたのではないか、と想像が膨らんだ。