沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦を指揮した日本軍の拠点として、首里城地下に築かれた第32軍司令部壕の保存・公開に向けた調査で第1坑口(こうぐち)の位置を確定したと発表した。
未発掘区間の調査も行い、第1坑道中心部の存在とその位置も初確認した。第5坑口付近ではトロッコのレールが出土した。
1945年8月に米軍が作成したインテリジェンスモノグラフ(情報報告書)で第1坑口のおおまかな位置は分かっていたが、県として初めて正確な位置を確認した。
作戦室など中枢部があるとされている第1坑道の出入り口「第1坑口」は、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門の裏付近にあった。地表から約4メートルの深さに床面や柱が出土したほか、坑道の側壁が坑道外に向けて広がっていることから坑口であると確認した。出土した柱2本の間の距離は1・8メートルだった。
天井は崩落しており、支柱や梁(はり)などの構造物はほぼ消失しているとみられる。排水溝とみられる溝や床板、土砂を抑える横矢板も確認した。
第5坑口前の採掘では、約1・5~2メートルの深さに当時使用されていたとみられるトロッコのレールが出土した。レールはカーブを描いており、坑口の外側にある可能性が高いという。第5坑口は現在、県が暫定整備している場所と当時の位置はほぼ一致すると判断している。
未発掘区間の調査も実施し、第1坑道の中心部の3地点をボーリング調査した。床面とみられる層が確認でき、米軍の調査でしか分からなかった坑道の位置を初めて確認した。内部は土砂が崩落し閉塞(へいそく)していた。
県は2025年度に第5坑口、26年度に第1坑口の公開を目指している。本年度中に委員会を立ち上げ、公開に向けた計画を策定する。玉元宏一朗平和・地域外交推進課長は「技術面や安全性確保に課題がある。どう公開していくか議論する」と話した。
(中村優希)