
沖縄県民の台所と呼ばれ、今では県内屈指の観光地でもある那覇市の第一牧志公設市場。約4年の建て替え期間を経て19日、オープンする。戦後の闇市から始まった公設市場。浸水や火災、大型店舗の立地による地元客の激減など、さまざまな困難を乗り越えてきた。新しく生まれ変わる市場の歴史を振り返る。(デジタル編集・田吹遥子)
■闇市からの始まり、浸水に大火事…
第一牧志公設市場の歴史は戦後間もない1947年頃、現在の開南バス停付近を中心に形成された闇市から始まった。1948年、那覇市が現在の第一牧志公設市場の場所に露天商人を集め、1950年には廃材で建てたトタン屋根の牧志公設市場が開設した。
市場のそばを流れるガーブ川の氾濫で市場はたびたび浸水が起き、その度に市場で働く人や客たちを困らせた。衛生面を巡って1960年代頃から市場の移転計画が浮上。さらに1969年には不審火で大火事に見舞われ、公設市場の建物が焼失した。
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1970年に公設市場の近く(現在の仮設市場の場所)に第二牧志公設市場が開設。第二市場に移転する店舗もあったが、同じ場所で商いを続けたいという声も根強く、1972年に元の場所で建て替えた「第一牧志公設市場」が完成した。
■地元客離れと観光地化
沖縄の本土復帰後、本土資本の大型商業施設が多く沖縄に進出した。1975年には、公設市場にも近い沖映通りにダイエー(ダイナハ)がオープン。市場にとって痛手でもあったが、現市場での営業を守り続けた。
市場の観光地化が始まったのは1980年代後半から90年代にかけて。1階の店舗で購入した魚や肉を2階で調理する「持ち上げ制度」の導入がきっかけだと言われている。県内を訪れる観光客が那覇を素通りして北部に向かう現状に危機感を持った那覇市が、市内に観光資源をつくろうと提案したことが制度導入につながった。

その後、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」などの沖縄ブームで、那覇市内への観光客はさらに増加。海外から訪れる観光客に対応しようと、売り場には外国語を話す店員も増え、市場内は多国籍の雰囲気が漂っていた。一方、スーパーや大型商業施設の増加、車社会が進んだことなども合わさり、地元の買い物客は激減。観光地としてのイメージが強くなっていった。
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■旧市場が建て替え、コロナ禍の仮設市場
老朽化に伴い、2019年に旧市場は閉場。建て替え期間中の仮設市場がオープンした。


しかし、2020年には新型コロナウイルスの影響で観光客も激減。市場近くの平和通りなども閑散とする日々が続いた。また2021年末、建設地の軟弱地盤が影響し、2022年4月オープン予定を約1年延期すると決定した。



コロナに開業延期…苦しい数年を経て、2023年3月19日、第一牧志公設市場の待ちに待ったリニューアルオープンの日を迎える。再び地元客や観光客を呼び込む市場をどうつくるか。新時代の「県民の台所」に期待と共に課題も山積する。

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