「連載 奪われた日・再生への願い」の記事一覧
沖縄戦に巻き込まれた人は誰もが何かを奪われた。故郷、大切な家族、教育の機会…。戦後75年。戦渦を生き延びた人々に残る傷痕に焦点を当てる。
「涙と一緒に塊落ちた」 栄養失調と熱病で失明<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑨安慶名貞子さん㊤>
2020/01/18
#沖縄戦
失明する前に見た戦時中の街の様子や米兵の顔を覚えているという安慶名貞子さん=2019年12月12日、沖縄市 沖縄戦は多くの死者と負傷者を出しただけでなく、戦後 ...
「家族の顔、覚えていない」 母奪った銃弾、傷痕今も<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑦大城政子さん㊤>
2020/01/11
#家族
「寒いと痛む」という沖縄戦で負った右膝の傷痕を見せる大城政子さん=2019年12月24日、糸満市 「けがをして久志の野戦病院にいた」。沖縄戦当時4歳だった大城 ...
沖縄戦で途絶えたノロの血縁… 伝統儀礼継承へ奮闘する女性の決意 <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑥島袋順子さん>
2020/01/10
#嘉手納基地
平安山ノロ殿内の年中行事を守る島袋順子さん=2019年12月26日、北谷町吉原 激しい地上戦とその後の基地建設は住民から土地を奪っただけではなかった。土地の上 ...
「せめてウタキに入れるように」 心のよりどころに自由に入れず 米同時テロ以降厳しく <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑤町田宗益さん>
2020/01/07
#嘉手納基地
「チチェーンヌウタキに入れるようにしてほしい」と訴える町田宗益さん=2019年12月23日、読谷村牧原 琉球王国の王府が所有する牧場を士族に開放して形成された ...
米軍基地で飲み込まれた集落 古里離れるも伝統行事で元住民心一つに <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡④花城可保さん、喜友名朝徳さん㊦>
2020/01/07
#沖縄戦
嘉手納基地内にある集落が見渡せる場所に建てられた下勢頭郷友会の合祀所から元の集落の場所を見下ろす喜友名朝徳さん(左)と花城可保さん=2019年12月18日、北谷 ...
「思い出す昔の海の匂い」 消えたアシビグニ 山林、大木が生き証人 <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡③喜友名朝徳さん㊤>
2020/01/05
#沖縄戦
嘉手納基地内にある旧集落の跡地に建てられた「あしびの御神」の入魂式に出席する下勢頭郷友会の役員ら=2001年7月(「下勢頭誌」から) 高台にある集落の事務所か ...
戦後100年たっても土地は返ってこないかも…日本の中にこんな場所があるのを知っていますか <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡②玉那覇昇さん㊦>
2020/01/04
#沖縄戦
再現された地図で宜野湾集落について語る玉那覇昇さん=2019年12月、宜野湾市宜野湾の宜野湾郷友会事務所 住民の財産である宅地や畑を奪い建設された米軍普天間飛 ...
松並木も学校も…今は普天間飛行場の中 生還して帰った古里は住むこと許されず <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡①玉那覇昇さん㊤>
米軍機の調整音が鳴り響き、オスプレイやヘリコプターが上空を飛び交う米軍普天間飛行場がある宜野湾市宜野湾。この地にはかつて道行く人を日差しから優しく守った松並木 ...
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