「連載:海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年」の記事一覧
「ひいおばあちゃんが生き抜いたから私がいる」 12歳の百恵さん、親子の思い<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>8
夜の船上で明かりを消すと、隣の人の顔もよく見えなかった。強い波を受け、船体は大きく揺れていた。もし海に落ちたらと考えると身がすくんだ。「すごく寒いし暗いし、怖 ...
「生き残った者の務め」 遺族会と行動を共に 記念館建設を実現<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>
4歳の時、家族9人を一度に失った。両親の顔もおぼろげな記憶しかない。「なぜ自分は生き残ったのか。対馬丸のことをやるために生かされたと思っている」。対馬丸撃沈事 ...
姉2人が乗船、命奪われ 父「後悔で胸いっぱい」 遺品のランドセル、悲劇の象徴に<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>
対馬丸記念会常務理事の外間邦子さん(85)=那覇市=は物心ついても母親に甘えた記憶がない。5歳の時、姉で泊国民学校5年の美津子さん=当時(10)=と同3年の悦 ...
「嘉義丸」と沈んだ養父、調べた最期は闇のまま「戦争や疎開さえなければ」<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>5
闇夜に海鳴りが響いていた。2022年11月深夜、奄美―沖縄本島の航路。佐渡山千鶴子さん(88)=恩納村恩納、旧姓・兼田=はフェリーの甲板から花をささげた。「さぞ ...
生後50日の子残し、父が乗る「湖南丸」撃沈 政府の遺族補償も一切なく<海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>4
1982年、名護市議の大城敬人さん(83)らは記者会見を開き、戦時中に軍事機密で伏せられていた事実を明らかにした。「戦時中、『湖南丸』は米軍に撃沈された」。船 ...
石垣市を離れ、那覇港発の湖南丸撃沈 15歳の兄、犠牲に 妹、島の軍拡「戦争再来」と怒り <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>3
今年3月24日、那覇市若狭にある「海鳴りの像」。戦時遭難船舶26隻の犠牲者を悼み、刻銘板に名が刻まれている。初めて訪れた石垣市登野城の山里節子さん(86)が、 ...
日本軍、目撃者に厳しく口止め 当時の児童ら、40年かけ「記録残さねば」疎開の体験つづる <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>2
沖縄から長崎に船が到着すると、乗り込んできた憲兵が疎開してきた首里第二国民学校の児童らに告げた。「対馬丸の沈没を口外したり、故郷に手紙で知らせたりしたらスパイ ...
つらい記憶、証言に残し 「戦争は嫌だと叫びたい」 <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>1の続き
1944年8月22日に起きた対馬丸撃沈事件から約1週間後、当時7歳の喜友名トミさん(87)は救助された。鹿児島から宮崎の加久藤(かくとう)村に連れて行かれ、読 ...
「ねーねー」今も耳に残る声 母と弟亡くし、1人だけ助かり苦悩 <海鳴りやまずー撃沈船舶と対馬丸80年>1
2024/08/16
#対馬丸
耳に残るのは「ねーねー(お姉ちゃん)!」と叫んでいた弟の声と、「しっかりつかまっておくんだよ」という母の声。なぜ、助けられなかったんだろう―。対馬丸撃沈事件に ...
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