「沖縄戦75年」の記事一覧
「みんなと仲良くが平和の一歩」 うるま市の石川中が慰霊の日特設授業 平和ガイドが講師
2020/06/20
#平和ガイド
【うるま】23日の慰霊の日を前に、うるま市立石川中学校(田場勝校長)は19日、慰霊の日特設授業を開いた。1~3年生までの12クラスに1人ずつ講師を招き、講話形 ...
紅型作家の城間栄順さん 父と共に紅型復活へ歩む 司令部壕に残った資材が足がかり<戦火の首里城 地下に眠る32軍壕>②
2020/06/20
#戦火の首里城
首里城の繁栄と共に沖縄が誇る染色文化として地域に根を張ってきた紅型。紅型宗家の一つ、城間家で生まれた城間栄順さん(86)=那覇市=が戦後、疎開先から沖縄に戻っ ...
宜野湾での沖縄戦、写真と資料で伝える 市立博物館で来月12日まで展示会
2020/06/19
#宜野湾市
【宜野湾】戦後75年となる慰霊の日を前に、宜野湾市立博物館で「沖縄戦の中の宜野湾」と題した写真パネル展が13日から始まった。7月12日まで。入場無料。市内で熾 ...
「首里城がない」知らなかった 裏の壕で「戦果」伝えていたのに 許田肇さん
2020/06/19
#戦火の首里城
沖縄戦に突入した1945年4月。首里城正殿裏手にある留魂壕内で発行された新聞「沖縄新報」は米軍上陸後も連日、日本軍の「戦果」を紙面で伝えていた。壕内にこもって ...
「首里城がない」知らなかった 裏の壕で「戦果」伝えていたのに 沖縄新報・許田さん<戦火の首里城 地下に眠る32軍壕>①
2020/06/19
#戦火の首里城
首里城の城壁下に掘られた留魂壕での生活を語る許田肇さん=6月11日、那覇市(又吉康秀撮影) 昨年10月末の首里城焼失は県民に大きな衝撃を与えた。75年前の沖縄 ...
「自粛警察」戦前と酷似 使命感と強制「従うことだけ要求された」 沖縄戦75年
2020/06/18
#新型コロナウイルス
軍国少年時代を振り返り「多様な人たちが共に生きるには、誰もが自分で考え、判断することが重要だ」と話す平良修さん=8日、宜野湾市内 牧師の平良修さん(88)=沖 ...
忙しい教師、減る体験者…平和教育「壁」の前で<「戦争死」に向き合う>⑦
図書館の資料を読みながら沖縄戦について語り合う糸満高校3年の中村彩花さん(左)と諸見里真知さん=5日、糸満市の同校 「平和教育というより沖縄戦の周知になってい ...
生死を分けたもの「なかったことにできぬ」 皇民化教育の史実継ぐ <「戦争死」に向き合う>⑥
皇民化教育の反省を次代に伝えることの重要さについて語る沖縄市平和ガイドネットワークの森根昇共同代表=10日、うるま市与那城屋慶名の自宅 沖縄戦で米軍が本島に上 ...
「戦争死」に向き合う ―沖縄戦75年 追悼の内実―
2020/06/16
#沖縄戦75年
沖縄戦から75年。新型コロナウイルスの感染防止を理由に、県は沖縄全戦没者追悼式の会場を国立沖縄戦没者墓苑に変更する方針だったが、のちに元の沖縄平和祈念公園の広 ...
援護法が「生きた証し」の壁に 国が戸籍修正認めず、ゆがむ沖縄戦の本質<「戦争死」に向き合う>⑤
沖縄戦で亡くなった妹たちの記憶をたぐる石原絹子さん=12日、那覇市 沖縄戦の全戦没者を刻銘する「平和の礎」が建設された1995年、石原絹子さん(83)=那覇市 ...
「礎」の理念 戦争美化せず敵味方なく 追悼「誰でも受け入れる場を」<「戦争死」に向き合う>④
自身の沖縄戦の体験と平和の礎建立の経緯を話す高山朝光さん=8日、那覇市内 1962年11月25日、琉球大学体育館(現首里城跡)で行われた南方同胞援護会、日本遺 ...
コロナ禍での平和学習「思わぬ効果」 集会中止でDVD放映 教諭「個で考える機会に」
2020/06/14
#南風原中学校
新型コロナ対策で密集などを避けるため、DVDで学習する南風原中学校の生徒たち=10日、同校 南風原町立南風原中学校(當間保校長)では新型コロナ対策で3密を避け ...
死後も国の支配下なのか…国立墓苑に転骨「殺された人は納得しない」<「戦争死」に向き合う>③
沖縄戦直後の地域住民による遺骨収集について語る大城藤六さん=2日、糸満市真栄平 県民約12万人と日米の兵士約8万人が亡くなった沖縄戦から1年後、糸満市真栄平。 ...
「死なんどーっ」生死を分けた少女の叫び 壕の中「強制集団死」住民も巻き添え<「戦争死」に向き合う>②
75年前、糸満市米須のカミントウ壕で起きた「集団自決(強制集団死)」について語る大屋初子さん=3日、糸満市 1945年6月20日ごろ、糸満市米須のカミントウ壕 ...
母と姉に手りゅう弾、投げたのは日本兵だった 戦死ではない戦争死とは<「戦争死」に向き合う>①
沖縄戦から75年。新型コロナウイルスの感染防止を理由に、県は沖縄全戦没者追悼式の会場を国立沖縄戦没者墓苑に変更する方針だったが、のちに元の沖縄平和祈念公園の広 ...
体験者「敵は日本兵だった」 美化、肯定に危機感 <「戦争死」に向き合う>① 住民虐殺・下
「最後のころはもう、敵は日本兵でした」。75年前を振り返り、金城トミ子さん(88)=糸満市=はうつむいた。 1945年5月、米軍の進攻に伴い、日本軍は南部に ...
戦後75年、今も耳から離れない歌声 「島守」と呼ばれた知事の素顔は
2020/06/04
#島田叡
島田叡知事と行動を共にした沖縄戦当時を振り返る崎浜千代さん=4月、国頭村辺土名 沖縄戦のさなか、最後の官選知事だった島田叡知事や先代の泉守紀知事を身近で見詰め ...
「米兵が住民銃殺」 45年4月1日の本格上陸前 目撃情報を初証言
2020/03/31
#沖縄戦
75年前に逃げ回った壕の周辺で、豊田純志さん(右)に当時の様子を説明する当山正雄さん=30日、読谷村座喜味 【読谷】沖縄本島に米軍が上陸し、地上戦が始まる直前 ...
父親にカミソリで首を切られ… 沖縄・座間味「集団自決」から75年
2020/03/27
#座間味島
平和之塔にある戦没者の刻銘板から、亡くなった叔父の名前を探す宮平優さん=26日、座間味村座間味 【座間味】米軍が座間味島を含む慶良間諸島に上陸し、地上戦が始ま ...
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