「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
フミさんの父、55歳で他界 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(1) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>
米統治下で圧政と闘った政治家、瀬長亀次郎さんの次女、内村千尋さん(78)=那覇市=からお便りが届きました。内村さんは亀次郎さんが残した資料を展示し、戦後沖縄の ...
アフリカマイマイ食べ生きる 与那覇カヅさん(6) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
漁船で台湾を離れ、与那国島に着いた与那覇カヅさん(87)=那覇市=はその後、石垣島を経て、故郷の下地村野原(現宮古島市上野野原)に帰ることができました。 台 ...
小さな漁船で与那国へ 与那覇カヅさん(5) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
1945年8月の敗戦で日本の台湾統治は終わります。台湾の日本人社会は混乱に陥ります。宮古から台湾に疎開していた与那覇カヅさん(87)=那覇市=は帰郷を急ぎまし ...
わずかな食事で飢えしのぐ 与那覇カヅさん(4) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
下地村野原(現宮古島市上野野原)から台湾に疎開した与那覇カヅさん(87)=那覇市=の一家ら疎開者が最も苦労したのは食事でした。台湾で暮らした1年間、与那覇さん ...
「内地」の子に引け目 与那覇カヅさん(3) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
下地村野原(現宮古島市上野野原)から台湾に疎開した与那覇カヅさん(87)=那覇市=の一家は他の3家族と共に台湾北部の「台北州」の新荘郡で暮らします。「台北州」 ...
家族6人で宮古離れる 与那覇カヅさん(2) 台湾への疎開 <読者と刻む沖縄戦>
宮古島市上野野原に広がるサトウキビ畑 1944年7月、絶対国防圏の一角にあったサイパンの日本軍が壊滅します。日本政府は沖縄や奄美にいる女性やお年寄り、子どもた ...
進む日本軍の駐屯 与那覇カヅさん(1) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
現在の宮古島市立上野小学校の校門 那覇市にお住まいの与那覇カヅさん(87)から台湾疎開の体験記が寄せられました。与那覇さんは現在の宮古島市上野野原の出身です。 ...
「ハノー」の名前忘れず 渡口輝雄さんの体験(4) 兄の戦争 <読者と刻む沖縄戦>
那覇市垣花のウティンダ やんばるの収容地区にいた又吉永子さん(82)=那覇市=の家族は、兄の渡口輝雄さんが米兵からもらった食料で飢えをしのぎました。輝雄さんは ...
ごみ捨て場で食料探し 渡口輝雄さんの体験(3) 兄の戦争<読者と刻む沖縄戦>
名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ 1945年の6月下旬、又吉永子さん(82)=那覇市=と兄の渡口輝雄さんら家族7人は久志村(現名護市)にいました。久志村の ...
馬車でやんばるに避難 渡口輝雄さんの体験(2) 兄の戦争<読者と刻む沖縄戦>
現在の那覇市西 那覇市西本町にあった又吉永子さん(82)=那覇市=や兄の渡口輝雄さんが暮らしていた家、父健次郎さんが働いていた食堂が1944年10月の10・1 ...
「空襲がある」うわさ広がる 渡口輝雄さんの体験(1) 兄の戦争<読者と刻む沖縄戦>
又吉 永子さん 那覇市長田にお住まいの又吉永子さん(82)から、昨年他界した兄の渡口輝雄さんの戦争体験記が届きました。渡口さんは生前、自身の体験を書き残してい ...
「月桃」歌い平和祈る日々 与座ツルさん(4) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>
愛唱歌の「月桃」を歌う与座ツルさん 沖縄戦で母かめさんを失った与座ツルさん(98)=本部町=は辺名地で戦後の歩みを始めます。マラリアに苦しんだこともありました ...
艦砲射撃で母失う 与座ツルさん(3) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>
本部半島の採石場 与座ツルさん(98)=本部町=は疎開先の福岡市博多区住吉で終戦を迎えます。ポツダム宣言の受諾を伝える天皇のラジオ放送で敗戦を知りました。 ...
医師家族と福岡へ疎開 与座ツルさん(2) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>
現在の本部町渡久地 1941年12月、与座ツルさん(98)=本部町=が16歳の頃、太平洋戦争が始まります。緒戦は日本軍の優勢が続きますが、42年6月のミッドウ ...
母を助け畑仕事 与座ツルさん(1)母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>
2023/08/19
#沖縄戦
与座ツルさん 本部町谷茶の特別養護老人ホーム本部園で暮らしている与座ツルさん(98)から戦争体験記が届きました。沖縄戦当時、与座さんは福岡県に疎開していました ...
学校行けず畑仕事 諸見里ユキさん(9) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
今年の慰霊の日の魂魄の塔 具志頭村(現八重瀬町)後原に戻ってきた諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=は父の真信さんと2人で暮らします。 《長兄は昭和14年に徴 ...
ごみ捨て場の缶詰で生き延びる 諸見里ユキさん(8) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
現在の船越小学校の周辺 諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=は知念村(現南城市知念)知念から玉城村(現南城市玉城)の船越に移ります。 《知念での生活は半年ほど ...
収容所で姉亡くなる 諸見里ユキさん(7) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
現在の南城市知念字知念の砂浜 砲弾や銃撃で亡くなった母や伯父を葬った翌日、諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=が隠れていた具志頭村(現八重瀬町)後原に米兵が現れ ...
手りゅう弾で自死試みる 諸見里ユキさん(6) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
現在の八重瀬町後原 諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=の家族が隠れていた具志頭村(現八重瀬町)後原の壕が砲撃に遭い、母のカメさんが亡くなります。姉ハルさんも片 ...
兄追った母、迫撃砲で即死 諸見里ユキさん(5) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=の家族が避難する具志頭村(現八重瀬町)後原の壕の中で、「このまま後原に残る」という父の真信さんと「南へ避難しよう」という15 ...
後原に残るか、逃れるか 諸見里ユキさん(4) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
現在の八重瀬町後原 米軍と日本軍の激戦が続く中、諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=の家族は具志頭村(現八重瀬町)後原の壕で避難生活を続けていました。 5月中 ...
港川沖から激しい砲撃 諸見里ユキさん(3) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
現在の八重瀬町港川 1945年に入り、諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=が暮らす具志頭村(現八重瀬町)後原でも空襲警報が増えます。 《空襲警報が頻繁になり、 ...
空襲被災者が後原に避難 諸見里ユキさん(2) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
現在の八重瀬町後原 日本軍が駐屯するようになった具志頭村(現八重瀬町)後原集落では食料を軍に供出するようになります。諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=は「班ご ...
「シンガポール陥落」で祝賀 諸見里ユキさん(1) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
諸見里 ユキさん 八重瀬町後原にお住まいの諸見里ユキさん(90)から体験談が届きました。沖縄戦で母やきょうだいを失いました。長女の金城隆子さん(69)=糸満市 ...
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